2009年08月01日

奄美のまとめ。

(前回からのつづき・・)

あやまる岬に
到着したころには
おそらくたっくさん
皆既日食の瞬間にそこに
いただろうと思われる人たちは
車や大型観光バスで移動を始め
すっきりとしてきていた。


あやまる岬に来ると
「美しい島(くに)」のPV撮影と
観光大使と行く奄美観光ツアーを
思い出す。

その2回のときから比べたら
そうとうな数の人たちが
そこに残っていた・・。


あやまる岬から名瀬に
戻るまでが、また嘘のような渋滞。


ひどい状態の首都高並み。


途中、「島とうふ屋」にてごはん。
ここも観光ツアーで寄っている。
量もしっかりあって、おいしい。


店に入って
注文を済ませると
スコールのような大雨。


あと数時間ずれていたら
あの、皆既日食を体験できなかったかと
思うと、何とも言えない感じ。


あの皆既日食が
あったから「夜ネヤ・・」もあったし
奄美大島内で行われた各種イベントも
あった。

曇りだったが、皆既日食を
ぎりぎり体験できて良かった。

7泊8日の長い間、奄美に滞在したのは
今回が初めて。

かと言ってゆっくり「奄美」を
堪能できたわけではないけど、
今まで以上に奄美の人たちとの
つながりを強く感じたし、
ありがたいなぁと思うことも
今まで以上にたくさんあった。

前は、「どうして埼玉出身の私が
親戚もいない奄美とどうしてここまで
縁が深いんだろう?」と思っていたが
今回の滞在を経て、「お互いに尊敬できる
間柄の人間が奄美にたくさんいて
一緒に何かを作り上げたりするのが
好きだから、奄美に来ている」と、強く
思えるようになった。


急にそう思えるようになったわけではないし
初めて訪れてから9年という時間が
ゆっくり熟成されてきた上での話だと思う。


2002年に発売された「ユリイカ」という雑誌の中で
奄美のシマ唄やデビューしたての元ちとせちゃんの
特集が組まれていて、その中で高嶋正晴さんという方が
私の「ワイド節」に触れている記述がある。

それは、私の略歴や私がカバーした
「ワイド節」や「稲スリ節」について
かなり詳しく踏み込んだ内容になっている。

私は、この文章を初めて読んだとき、
そこに書かれた内容によって、それまでの音楽活動を
認められた気がして、救われる思いだった。


あまりよく憶えてないが、
高嶋さんからインタビューを受けたはずだ。

そこにこんなことが書かれている。

「彼(ハシケン)に先の二曲(ワイド節と稲スリ節)の
シマウタをカバーに選んだ理由を尋ねてみたところ、
彼の答えは、単純に好きだったからというものだった」


高嶋さんの文章は以下のようにしめくくられる。


「実は、ハシケンのこれらのカバーを聞いてまず感じた
ことは、沖縄の童歌「じんじん」をカバーした、どんととの
姿勢との親近性だった。民謡や唄者、そしてそれらを育んで
きた文化に対する両者のリスペクトの姿勢には共通するものが
あるように思う。」

この文章が書かれた「ユリイカ」が出版されて
7年近くが経っているが、今になって
すごく胸に飛び込んでくるものがある。


この時点でおそらく高嶋さんはご存知なかったと思うが
私とどんとさんは、照屋政雄という共通の沖縄の師匠に
師事している。

亡くなってしまったので、どんとさんに
確認できないが、どんとさんも
沖縄の音楽が、ただほんとうに好きで好きで
かっこ良いと思って歌ってたんじゃないかなぁと
思いをはせてみた。


いろんな意味でこの2009年の夏に
奄美にいたことは感慨深く、
そしてまた後で何回も思い出すことに
なると思う。



7/18に奄美パークのステージで
「ワイド節」を歌ったときの
あの爽快感と解放感と幸福感は
何だったんだろう。


空へ空へ
声が伸びていった。


大きなものに抱きしめられているような
不思議な安心感もあった。


歌い終わったときの
さびしさも、とてつもないものだった。



あらためて
ありがとう。




追伸・
8月は『ハシケン×江藤有希』月間!

21日(金)の下北沢ラ・カーニャでの
初ワンマンライヴ。そしてその後の
北海道ツアー。

7/10の「晴れ豆」では時間の関係で
演奏できなかった曲、あの曲この曲
初演の曲も予定されてます。

ぜひぜひ。お見逃しなく!

詳しくは
http://www.hasiken.com/live/index.html
posted by ハシケン at 16:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする