少しずつ秋の空になってきたかなぁと思うが
まだまだ暑い。でもよく晴れて良かった。
朝、10時に一周忌法要を行う会場のバスが
実家の前に来て近所の人たちを乗せて出発した。
うちの近所の人たちは、沖縄にある「うちな〜タイム」とは
全く逆で、すごく早く集まる習性があり、9時半には
少しずつ集まり出して立ち話をしていた。
ほんとうに暑い中、ありがたいことです。
私と姉は先回りして、お墓の最終掃除を行い
会場へ向かった。
会場にはすでに近所の人たち、親戚、
父と親交のあった人たち等、約80名が
集まっていた。
実家の菩提寺になっているお寺から
住職がいらして、お経をあげ、焼香する。
この住職さんは、お経の間に唄を唄う。
この唄、もちろんアカペラだが、いつ聴いても良い。
せつない旋律で内容はよくわからないのだが
心を落ち着かせてくれるから好きだ。
唄を唄っていたかと思うとまたお経に戻る。
その後、バス2台でお墓に向かい
お花と線香を1人ずつに上げていただく。
かなり暑くしかも喪服を着ているので
じりじりと体が熱せられ、水分を奪われていく。
突然亡くなったことは、身内にとっても
周りの人たちにもかなりショックで、すぐに
癒されるものではないが、こうして節目節目で
法要を行うことによって、少しずつ気持ちが整理され
また明日へ気持ちが向かっていくんだなぁと思った。
再び会場に戻り、皆さんと法要の食事会。
司会は近所の藤野さん。普段こういう仕事を
しているわけではないが、なぜか司会を
やっていただくことが多い。
藤野さんに指名され、施主として
会の冒頭、挨拶をした。
昨年の葬儀の日、本来私が喪主として
挨拶をするはずだったが、その日
海さくらコンサートの出演が決っていたため
葬儀は欠席し、喪主としての挨拶はできなかった。
「本日は父の一周忌法要のために
たいへんおいそがしい中、そしてたいへんお暑い中
午前中からご足労いただきまして誠にありがとうございます。
厚く御礼を申し上げます。
父が亡くなってからあっと言う間に1年が経ちました。
この間、母と姉を支えていただきまして重ね重ね
誠にありがとうございます。
父は一生涯、和菓子屋の職人として生きました。
父が望んでいたであろう、私が和菓子屋を継ぐという夢は
実現せず、私は違う道を歩み音楽を生業としています。
私が家を出てから数年は父もどこか軽く考え、私が
音楽で生きて行くという道を諦め、家に帰ってきて
継いでくれるものと思っていたのだと思います。
ですが、私のデビューが決まったあたりから少しずつ
父の考えも変わっていった気がします。
会うたびに<ライヴにお客さんは来ているのか?>とか
<CDは売れているのか?>とか、よく心配してくれました。
お客さんあっての商売・職業という点では父がやってきたことや意思を
まがりなりにも、私も継ぐことができたのかなぁと思っています。
職人としての努力はまだまだ父には及びませんが
これからも自分の道を高められるように努力していきたいと
思っています。
父は、全くと言っていいほど休まない人でした。
なので、亡くなって初めて長い休暇をとれているのだと思います。
あらぼん[※初盆のこと]の前の日に、うちの母と隣のおばさんの
夢枕に、同時に父が立ったそうです。
心配そうな顔をしていた父に向かって、隣のおばさんが
<心配しなくて大丈夫だよ〜。みんなで手伝って、あらぼん
しっかりやるよ>と言ったら父はすぅーといなくなったそうです。
おそらくこの会場にも自分の一周忌が滞りなく行われているのか
心配して見に来ているかもしれません。ですが一同に集まっていただいた
皆さんの姿を見て安心していると思います。
はなはだ簡単ではございますが、お口汚し[※食事のこと]をご用意させて
いただきましたので、ぜひたくさん召し上がっていただき、父の
思い出話に華を咲かせていただけたら幸いです。
本日は、誠にありがとうございます。」
前日に何度かリハーサルをして、メモを見ずに
施主の挨拶ができホッとした。
その後、いろんな人たちからご挨拶をいただき
終盤、うちの姉と2曲演奏した。
姉がピアニカで参加した「晴れたら海へファーファーファー」と
コーラスで参加した「グランドライフ-7L3EPT-」。
姉との演奏を心から楽しめた。
皆さんから大きな拍手をいただき安心した。
いろんなことが頭を巡った。
この1年、早かったなぁ。