2019年01月31日

呪縛その3。(昨日からのつづき)

(昨日のブログからのつづき)
変わりたいと思っても中々変わることはできなった。でも2011年3月東日本大震災が起こったことで大きく変わった。ハシケンmeets伊藤大地のアルバム『ファンタジー』に収録した「この世界で」の冒頭の歌詞「もう何もかもあの日を境にしてすべて目に見えるものも見えないものも変わった」。震災後思ったことをそのままストレートに書いた歌詞だ。18の時、実家を出てずっと東京を中心に活動してきたけど縁ある奄美へ移住を決めそこから再スタートになった。各地をツアーでまわっていく感覚で言えば東京を中心に活動するのも奄美を中心に活動するのもあまり大差はない。でも拠点にする場所に住む人たちのタイム感の違いや豊かな自然に囲まれてる土地での生活リズムによって明らかに自分の中に変化が生まれた。長年ライヴをやらせてもらってる福山ポレポレのマスターyuさんに奄美に移ってからのライヴで「ハシケンのリズムは今までも大きくゆったりしてると思ったけど、奄美に行ったらより大きくなりよった」と言われたり他の何人もの人たちに同じようなことを言われるようになった。自分が本来あるべき姿、どういう自分になりたいのか、ということを改めて見つめ直す時間をもらった気がした。そこからだんだんとあの時感じた挫折感からくる呪縛から少しずつだけど解放されていく感覚があった。

震災前から続いている音楽活動でもたくさん色々なことを体験させてもらってきたが、移住してからもハシケンmeets伊藤大地としてCD2枚、ハシケン名義、大ちゃんとガチャピンさんとのハシケントリオでのCD制作・ライヴ。ベチコちゃんとの「た・た・たび」、色々な人との2マン、ツアー。河瀬直美監督とは今もつづく「日本アーカイブス」でのWEB作品作りと2つの映画での音楽担当。「朱花(はねづ)の月」「2つ目の窓」、両作品ともにカンヌ国際映画祭に公式ノミネートされた。「朱花の月」は震災直後に公開ということと奄美への移住の準備もすでに始まっていたこともありカンヌ行きは断念したが、奄美でほぼ全編撮影された2014年の「2つ目の窓」ではカンヌに行くことができた。中村瑞希ちゃんとの連名で音楽を担当した若松孝二監督の遺作となった「千年の愉楽」。シンガーソングライターという歌詞と曲を作り歌うことを中心にやってきたのに3作品のインスト中心の映画音楽制作に携われたことは大きな財産になった。東京を中心に活動していなくても色々なことができるということをまだまだ力不足だが少なからず実証できたような気がしている。

昨年ヨーロッパでライヴを経験した時、呪縛からやっとお別れできるような予兆を感じた。それはドイツやイギリスで全く私のことを知らないし日本語もわからない人たちの前でたった1曲歌っただけでもうれしい反応をもらえて新たな手応えを感じることができたことも大きかった。そして今、今まで以上に自分のやりたいことをやってみんなに楽しんでもらいたいという気持ちと今まで私のライヴを見つづけてきてくれた人たち、CDを聴き続けてきてくれた人たち、いろんな事情があってライヴには最近来れなくてもずっと応援してくれている人たち、各地でライブを企画してくれたり手伝ってくれている皆さん、様々な形で協力・共演させてもらってきたミュージシャン、アーティストの皆さん、そしてスタッフへの感謝の気持ちがあふれ出た。ありがとう。時間はかかったけど、またここから。いろんな形で皆さんにまた会えるを楽しみにしてます。

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2019年01月30日

呪縛その2。(昨日からのつづき)

(昨日のブログからのつづき)
ありがたい話だがリスペクトから「感謝」「限りなくあの空に近い」の2枚をリリースさせてもらっても尚私はずっとこの挫折感を抱き続けメジャーでなくなったということを納得できないままだった。「感謝」リリース後のある日、リスペクトからリリースしている他のアーティストと私のライヴがかぶってしまい、他のアーティストのライヴだけにリスペクトの高橋社長が顔を出したことに憤慨したことがある。高橋社長と他1、2名のスタッフでリスペクトは当時運営していたので無理はできないと知っていたし、できる限りのことをリスペクトにやっていただいてるとわかっていたのにいろんな気持ちがないまぜになった結果心がざらざらしていた。でもそのことがきっかけに人任せにすることはやめて自分でツアーをまわろうと思うようになった。「音泉マップ150」(遠藤ミチロウさん編)という全国各地のライヴハウスやライヴができるカフェを網羅した本と出会いその中に載っていた会場に連絡をしてライヴをやらせてもらうようになった(その本の中に今でもつき合いの続く名古屋トクゾーや福山ポレポレもあった)。

宿泊代を浮かすために車の中で眠れるような仕様にして自分で運転して北海道から九州までツアーをした。ライヴが終わると車を走らせ高速道路のパーキングエリアで眠って朝になったらまた次の目的地へ。その時に車でよく聴いていたのがリクオさんのアルバム「ヘブンズブルー」。収録曲「ソウル」には本当に助けられた。自分は音楽を続けていいんだ、と思わせてくれた。その後自主制作でハシケンフルバンドスタイルの原型とも言える大所帯の編成で「hasiken presents”WAIDO”」を出したり、ヤマハから「赤い実」「青い月」を出していくことになるが、それでもあの時感じた挫折感がなくなるということはなかった。ちょっとしたことでふと自分の気持ちの中にざらざらした感じが蘇った。

以前ヤフー知恵袋に「えびす温泉をきっかけにデビューしたハシケンという人は今も音楽活動してるんでしょうか?」という趣旨の質問を見つけた。その質問を見つけた時「ネットで検索したら公式ホームページもあるんだし自分でちゃんと調べたらいいのに」と正直思ったけど(笑)。ベストアンサーは「元ちとせさん等に楽曲を提供してライヴ活動していますよ」というような内容だった。その答えにはうれしかったが質問の内容にまたざわざわするものがあった。テレビを観ることでほとんどの情報を得てる人にとってテレビに出てちょっと有名になった人が急に出なくなると、その人は存在しないのと同じになってしまうんだなぁと痛感した。バリバリに本当に自分のやりたいことをやっていて活動していてもテレビをはじめメディアに出ていないと「存在しない」のと同じになってる人が世の中にたくさんいるんだろうなぁとも考えた。少し話が外れるがマネージメントをお願いできないかの相談を2005年頃2人の事務所社長にしたことがある。2人の返答は全く同じで「心からあなたの音楽を好きになってくれる人を探したほうがいいですよ。」だった。私の音楽には興味がないんだなぁと感じた。

人は変わりたいと思ってもなかなか変われないものだなぁと思う。(明日のブログにつづく)


posted by ハシケン at 21:51| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月29日

呪縛。

20年以上続いていた呪縛からやっとサヨナラできそうだ。20代に感じてそのまま心に巣くってしまった挫折感が呪縛になっていた。

テレビ朝日のバンドオーディション番組「えびす温泉」で10週間連続出演して「強制卒業」をした後、95年12月16日にシングル「グランドライフ-7L3EPT-」でビクターからデビューした。「えびす温泉」をビクターと共同制作をしていた芸能事務所アミューズから「うちとマネージメント契約しませんか?」とデビューが内定した頃に言われた。私は数日熟考した後それを丁重に断わらせていただいた。その時は「えびす温泉」に一緒に出演したバンド「Hasiken」としてやっていきたかったがアミューズ側からいただいた提案は私1人との契約だった。

デビューした95年頃はまだ「メジャーレコード会社」というものがしっかりと存在していた。小規模のインディペンデントレーベルはたくさん出てきていていたが、まだはっきり大手のメジャーレコード会社が各社独自のポリシーを持って「メジャー」という力を発揮していた最後の時代のように私には思える。バブルの名残があったとも言えるけど・・。それ以降はインディレーベルの盛り上がりをメジャーが真似して形式上インディに見せて実はメジャーがお金を出してるようなレーベルも出てきた。まぁ何しろ普通に考えたらアミューズからのうれしいアプローチを私は断った。なのでマネージメントが付かないままビクターのレーベル内のディレクターがバンド「Hasiken」のマネージメント的なこともやってくれた。結果1stシングル、1stアルバムの2枚をリリースした後、次作に向けたデモ録音もトライしたが採用されることはなくビクターとの契約も1年で切れた。そこから実質私の2枚目のアルバムとなる「感謝」をインディレーベルのリスペクトレコードから98年10月にリリースするまでに約2年間。その間にデビューした時のメンバーとは少しずつ離れるようになり私はソロや小編成でやっていくスタイルも始めていくようになる。テレビのオーディション番組をきっかけにメジャーデビューしたという華やかなところから、そうでなくなった自分のことを私は「落ちぶれた存在」と思い、挫折感でいっぱいだった。そして周囲には挫折感を感じているということを見せないようにと必死に努力した。(明日のブログにつづく)
posted by ハシケン at 22:38| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月28日

手ざわり。

ざらざらしてるもの。つるつるしてるもの。でこぼこしてるもの。さらさらしてるもの。ぬめりのあるもの。ひんやりとするもの。少しずつぬくもりを感じられるもの。などなど・・。実際に触れることでいろんなことを理解する。見た目とは違うものもよくある。人も。

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ラベル:手ざわり
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2019年01月27日

人の顔に花が咲く。

私が伝えたことで、花がパッと咲いたような満ちあふれた顔になった。それだけで今日1日が良い日だって想える。

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ラベル:
posted by ハシケン at 18:40| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月26日

「青い月」の生い立ち、そして2つの「あまみ」。

2005年に出したCD『青い月』のタイトル曲「青い月」。この曲を書き上げるのに1年以上かかっている。最初からテーマにしたいことは、はっきりしていた。「自分が受け継いできたものを次の世代に受け継いでゆく」。ライヴのMCでも話したことがあるが「美しい島(くに)」の中で歌った「夢や憧れを持って自分の生まれた土地を離れて旅だった人」がその20年後に「新しい別の土地で家族を作り育み、離れた故郷のことや自分の子供のことを想う」という設定で書いたのが「青い月」だ。「美しい島(くに)」と「青い月」は兄弟曲。歌詞のテーマははっきりしていたが、裏声を駆使する唱法を繰り返しながら演奏するピアノアレンジに時間がかなりかかった。自分の納得するところまでは中々いくことができなかった。

元はと言えば、2000年に奄美シマ唄の朝崎郁恵(あさざき・いくえ)さんとピアニスト高橋全(たかはし・あきら)さんとの共同作品「海美(あまみ)」(1997年リリース)を聴いたことに始まる。元が奄美のシマ唄と聞かされなければ、朝崎さんの声と高橋さんのピアノが誘(いざな)う世界は、どこの国か何がルーツか全くわからないほどだった。そのどこにも属さない圧倒的なオリジナリティと神聖さに非常に惹かれた。

初めて「海美」を聴かせてくれたのは、ライヴハウス「ASIVI」のオーナーであり「あまみエフエム」の理事長でもある麓憲吾(ふもと・けんご)。彼は私を奄美に2000年に初めて呼んでくれた人の1人であり今でもお世話になっているが、出会った頃私によくこんなようなことを言っていた。「自分やシマの人間たちのアイデンティティって何なのかってよく考えるんです。沖縄でもないし、鹿児島でもない・・。実際のところ、どの立ち位置にいてどこに属しているんだろうって」。その答えを私は「海美」に見た気がして彼に「どこにも属さないっていうのが奄美のアイデンティティなんじゃないのかなぁ」と奄美が背負ってきた歴史背景も当時よく知らずに身勝手ながら伝えた。

朝崎さんの声と高橋さんのピアノが、もしどこかの外国で作られた映画のエンディングで流れたら、この圧倒的なものが聴く人を捉えて、このどこにも属さないからこその強烈なオリジナリティを多くの人に伝えることができるはずだ、と感じた。だから沖縄や鹿児島でなくて、すでに奄美独自の「アイデンティティ」をこの島は持ってると思えた。初めて「海美」を聴いた2年後、元ちとせちゃんがメジャーデビューし「ワダツミの木」がミリオンセラーになった。ちとせちゃんが全国的に認知され、ちとせちゃん以前にデビューした奄美大島出身のアーティストのほとんどが「鹿児島出身」とプロフィールに書いていたが、ちとせちゃん以降は「奄美大島出身」とはっきり書くようになった。あとNHKの全国ニュースの天気予報に、ちとせちゃんが認知される前に「奄美」という表記はなかったらしい。今でこそLCCも飛び「奄美と沖縄の違い」や「奄美はかつて琉球王国の北端だったが、薩摩藩の琉球侵攻によって薩摩の『領地』になり、その後鹿児島県になった」ということをわかる人も増えたが、ちとせちゃんが売れる前は、今とかなり状況が違った。

大河ドラマ「西郷どん」で奄美編として当時の奄美が描かれていたが実際はもっともっと大変で過酷な状況だったと想像した(歴史に関してはいろんな立場からのいろんな説があるので興味がある人はぜひ自分で調べてくださいね〜)。

私は朝崎さんのような日々つちかってきたもの凄いシマ唄を歌うことはできないし、高橋さんのようにピアノテクニックやクラシックを始め多岐に渡る音楽的知識に裏打ちされたアレンジでピアノを弾くことはできない。でも「海美」で聴かせていただいたものに畏れながら匹敵できる楽曲を標準語で作り、私なりの朝崎さんと高橋さんへの答えを出したかった。そして「奄美」と「海美」へのお礼の「返歌」を書き上げたいという衝動がずっと私の心を突いて、なんとか創り上げようというモチベーションを保ち続け時間はかかったが完成できた。

来月10日の愛媛県新居浜市「あかがねホール」で私と奄美のシマ唄を今後引っ張っていく存在になっていくだろう中村瑞希ちゃんがボーカルを交互にとりあい、そこにベチコちゃんのバイオリンが絡むというスペシャルな形で演奏する予定。「青い月」を、「つむぐうた」コンサートを、ぜひ観ていただきたい。
『つむぐうた〜継いできた「うた」、継いでゆく「うた」〜』コンサート

「青い月」
作詞・曲:ハシケン

はるか産まれ土地を心に描くよ
長雨の後に雲は散り
太陽は降りそそぐ
すべてを赦(ゆる)すように等しく

赤土の浜で誰かが歌ううた
波の音にまぎれ ひたすらに
遠くの恋人を思う 
美しいメロディ

怖い夢はもうここにはいないよ
もう一度眠りにつけるまで
髪をなでていよう 
窓越しには青い月

はるか産まれ土地を心に描くよ
長雨の後に雲は散り
太陽は降りそそぐ
すべてを赦すように等しく

もの語りを
聴かせていこう

継いできたもの
継いでゆくもの


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「海美」by 朝崎郁恵&高橋全
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「青い月」by ハシケン
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2019年01月25日

寛容さ、と言ったら勝手すぎるかもだけど。

うちの実家は2階建てで旧道と言われてる道路に面してる。それほど密集してるわけではないが周りは住宅地でその中にうちの和菓子屋、そして1軒挟んで酒屋さんがあった。最近のブログにも書いたが(「思い込みがまだ足んねえな。」)、中2の時にビートルズを初めて聴いてほんとの意味で音楽に目覚め、ビートルズをカバーしたりオリジナルを作り始めて下手ながらギターをかき鳴らし歌い出した。そして同級生とバンドを組み和菓子屋の2階でバンド練習をするようになった。小5の時からドラムを叩き始めてドラムを叩かせてもらってた家から(この話はまた別の機会に)中古ドラムを譲り受け、小中一緒の幼馴染みが叩いたことがないのにドラムに興味を持ち始め一緒に音を出し始めた。私が中3の時には姉は東京の専門学校に行っていたので実家にほとんどおらず、姉の部屋がバンド練習場になった。一応窓と雨戸も閉めてドカスカの毎日。その当時はそれが楽しくて全く気づかなかったが、デビューしてから地元でライヴをやった時に、実家の隣に住むおばちゃんから「けんちゃんが中学校の時、毎日のようにドカスカやっててほんとうるさかったよ(笑)。でも音楽が好きでずっとやってこれてデビューもできてよかったね〜」と言われた。考えてみたら周りは住宅地。他の家の人も同じように当時「うるさい!」ってきっと思ってただろう。うちの親も近所の人たちに苦情を言われてたのかもしれないが、バンド練習をやってることで親に叱られたことは一度もない。「けんいちは好きなことを始めたらしょうがないなぁ」とあきらめてたのかもなぁ。良くも悪くも放っておいてくれた寛容さを私は知らず知らず享受していたんだと思う。感謝しかない。

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2019年01月24日

「For You」という曲。

バイオリン太田惠資さんの紹介で初めてジャズピアニスト板橋文夫さんに会ったのは横浜ジャズプロムナードの楽屋だった。それは私がリスペクトレコードからアルバム『限りなくあの空に近い』をリリースした後なので2000年のことだったと思う。『限りなく・・』に太田さんが参加していることもあり板橋さんにそのCDをお渡しした。

板橋さんは私と会ってすぐに『限りなく・・』を聴きしかも気にいっていただいたようで連絡がきた。そして板橋さんのマンションに行きリハをやることになり初めは板橋さんのライヴにゲストボーカルのような形で参加させていただくようになった。『限りなく・・』に収録した「夕映え」「走る人」を始め、板橋さんの名曲「渡良瀬」も歌った。ライヴをご一緒させていただくようになってからすごく気になる板橋さんの曲に出会った。板橋さんソロや板橋文夫オーケストラで演奏する曲に「For You」というインストの曲がありそのメロディがとても美しく、そのメロディに引き寄せられるように歌詞をつけたくなった。今でも歌ってる「For You-ハシケンバージョン-」の歌詞を書き板橋さんにその歌詞の内容を伝え歌った時、板橋さんは両手を上げてOKという感じの反応ではなかった。でも私がボーカルで参加するライヴではその歌詞で「For You」を歌ってもいいことになり歌わせていただくようになった。

何回かライヴを重ねるうちに、ある時ぽろっと板橋さんがこう言った。「ハシケンが書いたFor Youの歌詞をハシケンが歌ってるのをピアノを弾きながら聴いていると、自分の母親や姉がずっと手を振って姿が見えなくなるまで見送ってくれたことを思い出すんだよなぁ」。「For You」の歌詞を書いていく過程の中で、板橋さんのピアノの演奏スタイルやライヴの時のMCや楽屋での発言を元に私が「For You」という曲のメロディから勝手に受け取った印象があった。それは板橋さんのお母さんやお姉さんが浮かぶことはなかったものの、板橋さんがツアーを回ってる際、国内海外を問わず飛行機に乗る時に「もしかしたら、ここに来たいと思っても何かの都合で次回来れないかも知れない。もし次回会うことができなかったとしても見送りに来てくれた人たちがずっと幸せでいられますように」と強く願っている姿だった。なので板橋さんが話したことにとても驚いた。そして自分が心に描いた風景が板橋さんの創り出したメロディに寄り添うことができていたと確信でき素直にうれしかった。その後「For You -ハシケンバージョン-」はアルバム『赤い実』(2003年)、『うた』(2016年)でCD化した。東日本大震災以来、板橋さんとご一緒できていないが、またどこかのタイミングで「For You」を始め同じステージで演奏したい。

「For You -ハシケンバージョン-」

またいつかあなたに会えることを
強く心から願う
遠く離れてもいつも想ってる
あなたの未来が輝くように

伝えたいことがたくさんあるのに
うまく言葉にできない
何度も何度も
手を振りつづけた
あなたにこの想い届くように
あなたにこの想い届くように

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2019年01月23日

母親から教わった2つのこと。

小さい頃から母親から事あるごとに聞かされてきたことが2つある。「体が資本」と「挨拶が基本」。ラップのライムのように韻を踏んでる(笑)。他にあまり細かいことを言われた憶えがない。一度だけ小学生の時、私が学校に行きたくないと言った時に「そんなこと言ってないで、早く支度して行くの!」とキツい口調で言われたことがある。私には学校に行きたくない理由がちゃんとあった。

幼稚園に上がる頃までの私はひょろひょろとして足が弱く腿の関節が外れやすく、姉が遊びに行く時に家にあったパン箱に乗せられて引っ張られ連れて行ってもらってた。足が弱く関節が外れやすいのはどうやら逆子で産まれたことが原因らしいが、病院に行って診てもらったところ医者から「太れば治ります」と言われ、今から考えると何て勝手な診察かと思うけど、そのことを「一生懸命」守って私は食べて食べて太って小学校高学年になる頃にはかなりの体重になっていた。実際足の関節は外れなくなった(笑)。でも同じクラスの子達から太ってることをバカにされるような言葉を浴びせられるようになり学校に行くのがだんだんいやになってしまっていた。こっちにしてみれば「足を治すために太っただけで、ただ好きでばかばか食べて太ったわけじゃない!」としっかりとした言い分があったけど、その当時の私はそういうことを同級生に言い返せなかった。ある日ほんとに学校に行きたくなくなって出発の時間が迫ってきてるのにベッドでうだうだ横になっていたら、母親が急に来てカーテンを開けて部屋を明るくしながら「どうしたの!学校行かないの?」と言うので「学校に行きたくない・・」と言うと「そんなこと言ってないで、早く支度して行くの!」と言う今まで聞いたことのないキツい口調で返された。太ってることをみんなに言われるから、と言う理由は母親に言えなかった。その時、母親はもしかしたら仕事のことや他の何かでイライラしていたのかも知れない。でもその前にもその後にもその時のようなキツい口調を聞いたことがない。その後しぶしぶながらも学校に行くようになって時間はかかったけど中学生になってから部活の野球部以外でも走る事を毎日続けて体重を落としていった。母親と年が明けてから電話で話したけど「年をとって疲れがとれなくなった」と言っても元気な声をしていた。「体が資本」と「挨拶が基本」。この2つの言葉は昨年海外に行った時にもよく思い出していた。この2つを自分の核にしておけば、変に無理はしなくなるし、どこの場所にいようともやっていける。
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2019年01月22日

いつでも音楽のそばに(その1:荻原崇弘<オギ>)。

歌詞や曲を仕上げる時、CDとか作品に仕上げる時にいつも頭に浮かぶ人が3人いる。その3人がいつどこで私の曲を聴いても恥じないようなものに仕上げようと思ってやってきた。個人の好み、好き嫌いはあるからそれがたとえその人にとって嫌いなものだったとしても「もっとちゃんとやれよ。ハシケン落ちたなぁ・・」なんて思われないように、気を引き締めさせてくれる存在。その1人目は、20代前半に一緒に「うの花」というユニットをやっていた荻原崇弘。私はずっと「オギ」と呼んでいた。オギとはどうやって出会ったんだろう。憶えてない。いや思い出した。今みたいにSNSなんてないから楽器屋に貼り出された紙を見て私が電話した気がする。

オギのアパートの部屋は昼間楽器を大音量で演奏しても大丈夫だった。木造のボロい(失礼!)アパートだったのに。近くに音大があったのでクラシックをやってる人が周りに多かったからかも。6畳とちっさいキッチンしかない部屋にアップライトピアノやキーボードや機材がオギの部屋に満載だった。私が訪ねる度にオギが淹れてくれるインスタントコーヒーがとてもうまかった。隣の部屋にはオギと一緒にバンドもやっていた高崎くんっていうベーシストが住んでて私がオギの部屋に行く時会ったりお互いの曲を聴き合ったりした。何しろ音がずっと夜まで出せるのでバイトがない時はよく通って一日中音を出していた。オギにバイトを紹介してもらって一緒に出かけることもあった。「うの花」としてライヴで演奏した曲は映画「裸足のピクニック(矢口史靖監督作品)」のサントラにもなってるので今でも聴くことはできるが、CD化されていない「うの花」の曲が他に存在する。その曲たちをオギが持っていた8トラックのオープンリールのレコーダーで録音していった。その録音したものを数曲集めてカセットテープにしたものもある。ただこのカセットにも収録しなかった私とオギが初めてお互い納得するまで時間をかけて曲が1曲だけある。オギが元々コード進行やリズムを作りその上に私が歌詞とメロディを肉付けしていった曲。暇さえあればオギのアパートに毎日のように通っていたのに、お互いが納得する曲になるまで丸々1年以上かかった。お互いに自分の考えや意見がはっきりしていて一歩も引かなかった。その1年が今思うとほんとうに愛おしくてたまらない。この1曲があったからこそその後お互いを認め合えたと思う。

時系列が逆になったがその後オギのオープンリールのレコーダーで録音したり、矢口くんの映画の音楽を担当することになる。そして私は自分の歌に自信がなくなり、もっと歌えるようになりたいと考えてる時に「沖縄」というキーワードを至るところで見て、92年10月「うの花」の実質ラストになった世田谷北沢タウンホールでのワンマンコンサートをやった後活動停止。そして私は沖縄へ一人旅にその年の12月に出かけた。オギとはその後会ったり、オギが故郷の長野県小諸に戻ってから私の長野でのライヴを手伝ってもらったりもした。東日本大震災以降特にここ最近は全く会えていない。あの1曲を作り上げた1年の時間があるからこそ、下手なものをオギには聴かせられないと今でも思う。「うの花」にはオギの他に関わってくれたメンバーがいるけど、それはまた別の機会に。
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2019年01月21日

手紙を書いてみたものの。

昨年2回目のヨーロッパ行き直前に或る2人に手紙を書いて関西空港のポストに投函した。リアクションは今のところ全くない。1人の人は超多忙だと知っているので下手をしたら読んでいない可能性さえある(笑)。もう1人の人もいそがしい人だが手紙が届きました、のメール返信くらいならできそうな人。手紙届きましたか?ってメールや電話で訊くのってなんか変な気がして現状そのままにしてある。でも時々脳みその片隅にこの2人の顔が浮かんでくる(やらなくちゃいけない事が溜まって来た時に限って!)ので、変な気持ちを抱えながらもメールしてみようかなぁと考えてる。

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ラベル:手紙
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2019年01月20日

気が合う人、合わない人。

理由は特に思いつかないのに初めて会った時からめっちゃ気が合う人がいる。逆に理由は特にないのにどうも気が合わない、というか苦手意識が芽生えてしまう人がいる。その差ってなんだろうなぁ・・。恋愛の場合、動物的な感覚で自分の遺伝子の系統と近い人とはできるだけお近づきにならないように匂いとかを敏感に感じて避けるようになってると聞いたことがある。もしかしたらそういう遺伝子レベルのことも関係してて、なんか理由はよくわからないけど気が合わないとか、どうしても避けてしまうタイプの人というのは、実は「近い」人だったり、自分と似た性質を持ってる人なのかもしれないなぁと思ったり。

最初苦手だなぁと思った人でも何回か会ううちに、その人の趣味や好みを知って親近感をおぼえて仲良くなっていく場合がある。だからどんな人と接する時にもまずはフラットに普段の自分でそこにいられたらいいなぁと思ってる。

桜の季節がやってきたね。
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posted by ハシケン at 19:56| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

黄金の翼の夢。

先日見た夢の中で、金を細工して翼を作ろうとしていた。

金細工を長年やってきたと熟練のおじぃが融かした金を冷めないうちに、厚さは多分2ミリくらい大きさは幅15センチ縦3センチの板状のものに線を入れ鳥の羽根のような金細工に仕上げる。出来上がったものを私は見て「きれいだなぁ」と心の中でつぶやいた。私はどうやらそこの工房のようなところに金細工を習いに来てるようだった。おじぃが作った後、私が作業をやる番になった時目が覚めてしまったので金細工を作れたかどうかはわからない。でも目が覚めても夢の中の出来事を克明に憶えていたのでスケッチブックに描いてみた。

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20代の頃一時期、夢日記をつけていた。枕元にノートとペンを置いて目が覚めたらすぐに夢の出来事を書き起こす。今でも忘れられない夢がある。体育館のような建物の中に私は居て天井を見つめて居た。体育館のような建物は屋根も壁も全部がガラスでできていて陽が差し込み眩しかった。でも不思議と暑くはなく、その眩しさと輝きだけが美しかった。その夢は文字だけでは残さず絵も描いた。夢は何かを教えようとしてるのかなぁ。黄金の翼はどんな意味なんだろう。

posted by ハシケン at 20:26| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

思い込みがまだ足んねえな。

「思い込みがまだ足んねえな」
これは、何度も共演させてもらってるピアノマン・リクオさんの名曲「ミラクルマン」に出てくるフレーズ。

人から見たら大いなる「勘違い」とも言える強い思い込みを私は中2の時にした。14歳になった頃、姉が持っていたカセットテープに入ってたビートルズの曲を初めて聴いた。初めてビートルズの曲を聴くのに昔から聴いてるような懐かしさと気持ちがすごく高ぶる感覚があった。特に初期の「I want to hold your hand(邦題:抱きしめたい)」は私の心を打ち抜き体全体に電流が走った。「こんなカッコイイ曲があるんだ!」とそれまでの人生の中での最大の音楽での衝撃を受けた数日後には「こんな風な曲を自分にも作れるかもしれない」「きっと作れる」「絶対作れる」と変わっていった。ビートルズのことを調べるために色々本や雑誌を読みあさり簡単なコードを弾きながらカバーを始めた。「ビートルズエピソード550」という本も手に入れた。ビートルズがデビューした時ジョンレノンは22歳だったことも知った。そこから「22歳には自分もデビューする!」という強い思い込みが始まった。結果22歳の時にはデビューできなかったけど5年押しの27歳の時デビューできた。年齢を重ねるにつれて「大いなる勘違い」やバカでかい夢を見ることがなくなった気がする。でもね、また素晴らしき思い込みを始めようと思ってる。

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初めて聴いた14歳の時から36年間を経て昨夏初めてロンドンに行きビートルズのジャケ写でも有名なアビーロードスタジオ前で「I want to hold your hand」を歌った映像がこれ。
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2019年01月17日

失敗するかもしれない。でも変わりたい。

約26年前、沖縄民謡を習った時に歌えるようになった「てぃんさぐぬ花」(鳳仙花の花という意味)の中で歌われる歌詞に「なしばなにぐとぅん なゆるぐとぅやしが なさぬゆいからど ならんさだみ」というのがある。平仮名だけだとわかりにくいので漢字も混ぜて書くと「成しば何事ん 成ゆる事やしが 成さぬ故からど 成らん定み」。私の師匠・照屋政雄先生はこの歌詞を私にこう訳してくれた。「どんな事でもやってみれば何とかできるものだ。やらないから(行動を起こさないから)できないんだ。」

こんなことやりたいなぁ。あんな風になりたいなぁ。自分はこうしたいのになぁ。そうイメージする事は大切。だけど石橋を叩きすぎたり、もしかしたら、そんなことをしたら人に変な目で見られるんじゃないか・・とか考えたりしてなかなか行動に移せない事ってある。あと自分ができないことを人のせいにしたりすることで結局やらないままだったり・・。

失敗するかもしれない。でも変わりたい。どうしてもやってみたい。自分がなりたい自分になりたい。時間がかかるかもしれないが少しずつでも積み重ねていこうと思う。ハシケントリオ名義でリリースした「きみといたら」の2番にこう綴った。「貫き通す気持ちがあればね ちっさいことひょいとかわし微笑もう 今この時間がすべて」。人生、一度きり。

※沖縄民謡の歌詞の表記や訳し方は人によって様々です。興味を持った方は調べてみて下さいね〜。

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2019年01月16日

♪疲れたら、えひめ。

大好きな漫才コンビ・和牛が愛媛県のPR動画「疲れに、効く。愛媛県」を撮影していて近々公開らしい。楽しみ!めっちゃ良いタイミングで来月私はまた愛媛に行ける。2月10日(日)に愛媛県新居浜あかがねミュージアム多目的ホールで行う『つむぐうた〜継いできた「うた」、継いでゆく「うた」〜』。四国で唯一の奄美シマ唄の唄者でここ最近の私の四国ツアーを手伝ってくれてる「まさにぃ」こと神野匡崇さんが中心になって企画したコンサート。まさにぃには愛媛県内の景色が良い場所を始めほんといろいろ連れて行ってもらっている。再び来月行く新居浜はもちろん、松山、今治、お茶処で有名な新宮村(ここにある道の駅・霧の森は新宮でとれるお茶はもちろんお茶を使ったスイーツも楽しめますよ)。あと先月初めてライヴをやった愛南町。ここは高知にかなり近い。まさにぃのおかげで愛媛が思ってたより広くて各地域が独自の文化圏なことを知ることができた。四国は各県特色があって良いね。日本昔ばなしに出てくるような小さくてこんもりした山が続くの見てるだけでなんだか和む。まだまだ知らない場所にも出かけたい。『つむぐうた』コンサートは午後3時スタート。ちょうど3連休の中日。疲れを癒やしに小旅行に来ませんか。

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posted by ハシケン at 21:01| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月15日

結果、プチ断食。

昨日の夜中はなかなか眠れず、ホット黒糖ミルク(ラム酒入り)を飲んで知らないうちに眠っていた。起き出してからそのままとある撮影に出かけてバタバタしてたら朝から珈琲だけで何も食べずに過ごしていた。空きっ腹に珈琲はよくないらしいね(笑)。昨年、半日ちょっとのプチ断食やってみたら体も軽くなって体調よくなったのでまたやろうと思ってたままやってなかった。今日はこのままお茶とか水分だけで過ごそう。プチ断食おすすめですよ。
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2019年01月14日

風の吹く日には。

2007年に出したアルバム『Hug』は、収録曲11曲中9曲私が作詞作曲をしている。あとはリクオさんの『ソウル』、そして作詞が友部正人さん、作曲が私という共作「風の吹く日には」。この曲は元々、友部さんが作詞作曲した曲として存在している。2006年11月に吉祥寺スターパインズカフェで行われた友部さんのライヴ「言葉の森で」にゲストで参加させていただくことになり、事前に友部さんと会いリハをした。その時「友部正人詩集」をいただいた。その中に「風の吹く日には」という詩があり、独特の香りが立ち込める言葉に導かれるように夢中でギターを弾きながらたしか1日もかからないでメロディをつけた。友部さんと友部さんの奥さんユミさんに私が新たにメロディをつけた「風の吹く日には」を聴いていただき気に入っていただけた。そして『Hug』に収録した。いまだに友部さんが作詞作曲した「風の吹く日には」は聴いたことがない。ゲスト参加した「言葉の森で」には苦い思い出があるが、それはまた別の機会に。
posted by ハシケン at 20:12| Comment(0) | 曲について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月13日

リフレッシュしたい時には。

色々やることや考えることが溜まってきてほんとどうしようもない時に、水分が多いところや水の近くに行くとリフレッシュすることが多い。魚座生まれっていうことも関係してるのかなぁ(笑)。熱すぎないお風呂に長くつかってぼぉー。お風呂につからなくてもシャワーを長い時間浴びつづける。少し出かけられるなら浜辺に行って湿った風を浴びる。水が湧き出てる場所まで行ってみる。何も考えなくていい状態になって初めて浮かんでくる歌詞やメロディの断片もある。喉にも潤っていた方がうれしいし。芸人のヒロシさんがやってるYoutubeのキャンプ動画を見たら、使い勝手の良さそうな色々なキャンプ道具(「ギア」って言うんだね)持っていた。ギアを揃えたくなった!
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2019年01月12日

かけがえのないもの。

落ち葉がしきつめられてパッチワークのようになっているのを見たり、ただ雲の流れを寝そべって見たり。不意に現れた鳥が全く人を恐れないですくっと枝にとまっていたり。遠くを見たり出かけられなくても、半径数メートル内にそれはあったりする。人の表情にもそれはあり。別に楽しい感じじゃなくても。美しくかけがえのないものがいたるところに見つけられる。
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posted by ハシケン at 17:45| Comment(0) | 日々のおもひ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする