変わりたいと思っても中々変わることはできなった。でも2011年3月東日本大震災が起こったことで大きく変わった。ハシケンmeets伊藤大地のアルバム『ファンタジー』に収録した「この世界で」の冒頭の歌詞「もう何もかもあの日を境にしてすべて目に見えるものも見えないものも変わった」。震災後思ったことをそのままストレートに書いた歌詞だ。18の時、実家を出てずっと東京を中心に活動してきたけど縁ある奄美へ移住を決めそこから再スタートになった。各地をツアーでまわっていく感覚で言えば東京を中心に活動するのも奄美を中心に活動するのもあまり大差はない。でも拠点にする場所に住む人たちのタイム感の違いや豊かな自然に囲まれてる土地での生活リズムによって明らかに自分の中に変化が生まれた。長年ライヴをやらせてもらってる福山ポレポレのマスターyuさんに奄美に移ってからのライヴで「ハシケンのリズムは今までも大きくゆったりしてると思ったけど、奄美に行ったらより大きくなりよった」と言われたり他の何人もの人たちに同じようなことを言われるようになった。自分が本来あるべき姿、どういう自分になりたいのか、ということを改めて見つめ直す時間をもらった気がした。そこからだんだんとあの時感じた挫折感からくる呪縛から少しずつだけど解放されていく感覚があった。
震災前から続いている音楽活動でもたくさん色々なことを体験させてもらってきたが、移住してからもハシケンmeets伊藤大地としてCD2枚、ハシケン名義、大ちゃんとガチャピンさんとのハシケントリオでのCD制作・ライヴ。ベチコちゃんとの「た・た・たび」、色々な人との2マン、ツアー。河瀬直美監督とは今もつづく「日本アーカイブス」でのWEB作品作りと2つの映画での音楽担当。「朱花(はねづ)の月」「2つ目の窓」、両作品ともにカンヌ国際映画祭に公式ノミネートされた。「朱花の月」は震災直後に公開ということと奄美への移住の準備もすでに始まっていたこともありカンヌ行きは断念したが、奄美でほぼ全編撮影された2014年の「2つ目の窓」ではカンヌに行くことができた。中村瑞希ちゃんとの連名で音楽を担当した若松孝二監督の遺作となった「千年の愉楽」。シンガーソングライターという歌詞と曲を作り歌うことを中心にやってきたのに3作品のインスト中心の映画音楽制作に携われたことは大きな財産になった。東京を中心に活動していなくても色々なことができるということをまだまだ力不足だが少なからず実証できたような気がしている。
昨年ヨーロッパでライヴを経験した時、呪縛からやっとお別れできるような予兆を感じた。それはドイツやイギリスで全く私のことを知らないし日本語もわからない人たちの前でたった1曲歌っただけでもうれしい反応をもらえて新たな手応えを感じることができたことも大きかった。そして今、今まで以上に自分のやりたいことをやってみんなに楽しんでもらいたいという気持ちと今まで私のライヴを見つづけてきてくれた人たち、CDを聴き続けてきてくれた人たち、いろんな事情があってライヴには最近来れなくてもずっと応援してくれている人たち、各地でライブを企画してくれたり手伝ってくれている皆さん、様々な形で協力・共演させてもらってきたミュージシャン、アーティストの皆さん、そしてスタッフへの感謝の気持ちがあふれ出た。ありがとう。時間はかかったけど、またここから。いろんな形で皆さんにまた会えるを楽しみにしてます。
