撮影中にすでにテーマ曲になりえる曲は出来上がっていた。奄美北部にある緑が丘小学校のピアノがある部屋を貸していただき河瀬監督を始めキャストやスタッフの皆さんの前で演奏したこともあった。ただその時点ではまだはっきりと「これだ!」と言いきれるものではなかった。
河瀬監督のテーマ音楽に対するイメージは当初明確ではなかった。ただ河瀬監督の言葉の端々に「映画を見終わった後にもはっきりと印象に残るもの、あとでそのメロディを聴いた時に映画の様々なシーンが思い出されるようなもの」そういう音楽を望んでいることはしっかりと受け取れた。
撮影が全て終わり年が明け2014年に入ってもまだテーマ音楽となるメロディは完成しなかった。2014年3月20日頃までに音楽が完成しないと映画の完成に間に合わないいうことだけがはっきりしていた。何回音楽を監督に提出してもOKは出ず・・。2月になり奄美から奈良へ。編集のためにフランスからやってきたティナさんの作業室の隣で私はエレピを弾きながら曲を作り続けた。大阪の吹田に以前から使っていたレコーディングスタジオがありグランドピアノがあることもありそこに奈良から通って録音をしたり河瀬監督の家にあるアップライトピアノを使って曲作りしたり、その時宿泊していたウィークリーマンションでエレピで作曲したり。今思い出してもかなり精神的にもかなりハードな毎日だった。そして自分の頭で描きたい音楽が鳴っていてもそれをしっかりと表現するまでには自分は至っていないんだということも思い知らされた。
そして3月中旬になり期日が迫っていった。すでに映像の編集のためにパリ入りしていた監督とプロデューサーの澤田さんとスカイプで会話している中で「このままだと間に合わないのでパリに来てください!」ということになった。しかも私がパリに到着する翌日にパリのレコーディングスタジオとフランス人のピアニスト、バイオリニスト、チェリストの3人のスケジュールを押さえてあるという・・。
私はフランスに飛ぶための準備をすぐにして3月17日に関西空港からパリ・シャルル・ド・ゴール空港に飛んだ。テーマ曲になりえるメロディは頭の中で鳴っていたので機上でピアノ、バイオリン、チェロ用の楽譜を仕上げていった。今簡単に「楽譜を仕上げていった」と書いたが私は小さいころピアノを習った経験があるものの楽譜を読んですぐに楽器を弾ける人間でもなければ浮かんでるメロディをすぐに楽譜化できるスキルも持ち合わせていない。この時のような場合、本当に「火事場の馬鹿力」が出るんだなぁと改めて思った。
無事パリ・シャルル・ド・ゴール空港に到着。私のことを空港で待っていてくれた手配していただいたタクシーに乗ってパリ市内へ。編集が行われてるスタジオへ直行し監督以下パリ側スタッフと会った。その日はご飯だけみんなと一緒に行き休ませてもらって翌日早めにレコーディングスタジオに入りミュージシャンが来る前に機上で書いた楽譜が本当に正しいのかどうか確認する作業をしていった。
夕方からミュージシャン3人と初対面。3人とも私が作曲者だと紹介されると、とても敬意をはらってくれて曲の意図をきいてくれて再現してくれそうと最大限努力してくれた。ピアノのダヴィド、バイオリンもダヴィド、チェロのマエヴァ、この3人が初めて目の前で奏でてくれたテーマ曲は、オーケストラもフルでゆうに入れる大きさのレコーディングスタジオに響き渡りとても心地よかった。そしてヨーロッパの人間が奏でた私のメロディによって私はアジアの人間なんだなぁていうことを再認識させてくれた。オリエンタルなメロディではないのにオリエンタルな香りを強くその時感じた。その日、テーマ音楽とテーマ音楽のメロディを散りばめた各シーンの音楽もその3人のフランスミュージシャンによって奏でられ完成。私の仕事が1つ終わった。
テーマ曲録音後の記念撮影。
左から私、ダヴィド(バイオリン)、マエヴァ(チェロ)、ダヴィド(ピアノ)、河瀬直美監督

2014年フランスでのプレミア上映のリハーサル時のテーマ曲演奏。
テーマ曲を含むサントラCDの詳細↓
http://www.hasiken.com/disc/stillthewater_cd