『22年前のキューバ・
その1、
その2、
その3、
その4、
その5』
1997年のキューバ滞在は元はと言えばブラジルのリオのカーニバルに行く予定だった。でもタイミング的にリオのカーニバルに行けそうにないことがわかり、だけどラテン音楽の土地で魅力的な場所はどこか?という中でキューバに行くことになった。その当時日本からキューバに行く場合2つのルートがあった。まずはアメリカのサンフランシスコまで行ってカナダのバンクーバーに一旦寄ってからキューバのハバナ入りする方法、そしてアメリカのサンフランシスコまで行ってメキシコのメキシコシティに一旦寄ってからキューバのハバナ入りする方法の2つ。当時アメリカとキューバに国交がなかったため一度第三国に入らないといけないルールがあった。うちの姉がメキシコ民芸品店「カフェ・イ・アルテ」(カフェ・イ・アルテに関しては、
ここや
ここもぜひ)に勤めていて私もそこでバイトしてた縁があったこともありカナダよりメキシコに寄ってみたい気持ちが強かったのでメキシコ経由にした。
サンフランシスコでトランジットしてメキシコシティ空港に着いたのは1996年12月31日大晦日の夜。空港内ホテルに宿泊することになっていたので部屋に入りそのまま眠ろうと思ったけど、外で爆竹をやたらバンバン鳴らすような音が鳴り響いてなかなか眠れなかった。大晦日でお祝い的に鳴らしてるのかなぁとなんとなく思い知らないうちに眠っていた。早朝目が覚めてホテルの窓の外に広がる風景を見た時の衝撃は忘れられない。そこは一面貧しい人たちが住んでるスラム街だった。あとでわかったことだったけど夜鳴り響いていたのは爆竹などではなく拳銃の音だったらしい。

フリーダ・カーロの夫ディエゴ・リベラの壁画は本物を見てみたい。