2019年05月01日

列車に揺られながら。

2007年にリリースしたアルバム『Hug』に収録した「列車に揺られながら」。「走る人」とはまた違うが(「走る人」についてはこちらも)この曲も私の音楽のルーツの1つであるラテンの要素が入った曲。

間奏に出てくるケーナ(ペルーの笛)はSaigenji(サイゲンジ)。2010年11月24日の渋谷でのハシケンフルバンドスタイルでのライヴでもSaigenjiにケーナでゲスト出演してもらっている。

ツアーに出てどうしてもいそぐ必要がある時は新幹線や特急も使うが、在来線やバスで「のんびり移動」も好きだ。車窓から見えてくる風景の中、私はそこを通り過ぎていくだけでそこに暮らす人たちと実際に交流できることはほとんどない。空から俯瞰的に見ることができるのなら電車に乗ってる私と私が車窓の風景として見ている中で生活している人たちはかなり近いところに一瞬いるはずだが、その後実際に出会うことができる人はいたとしてもほんの数人だろう。「出会うこと」のない人たちと隣り合わせの哀愁。

ツアー中、車窓を彩り流れていくその「哀愁」の風景を見ている。ツアーが始まる度にその風景が様々なことを思い出させ胸をしめつけまた明日への道を切り拓く。今週末からまた旅が始まる。5/4土曜日のサイゲンジとの再会ライヴ「ムジカ・カルナバル!」at大阪ムジカジャポニカもめっちゃ楽しみ!


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列車に揺られながら
作詞・曲 ハシケン

響きあうメロディー
車輪とレールがこすれる音
青空に とけてく

車窓には
一生交差することのない
人たちのそれぞれの物語

列車に揺られながら旅はつづく
見知らぬ人が肩にもたれ
どんな出会いがまた旅の中で
待ち構えているだろう

湖に映し出される まだら雲
夕暮れが胸をぎゅっとしめつける

ページを捲るたび旅はつづく
読みかけの本を連れて
急ぐことのない旅の中で
まだ見ぬ君に出会う

列車に揺られながら旅はつづく
くちづさむ恋の唄
どんな出会いが旅の中で
待ち構えているだろう

Hug』ハシケン(2007年リリース)
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『ハシケン・フルバンドスタイル!!! 20101124』DVD
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hasiken saigenji20190504.png

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2019年04月27日

てっぺん。

2012年4月にリリースしたハシケンmeets伊藤大地『ミチル』に収録した「てっぺん」。その以前にハシケンフルバンドスタイルですでにライヴでは演奏していて、2010年11月24日東京渋谷でのライヴの模様を映像作品にして2012年11月にリリースしたDVD『ハシケン・フルバンドスタイル!!!20101124』に収録されている。

「てっぺん」は一気に書き上げた曲。その時感じていたことを1枚のキャンパスにそのままぶちまけたような歌詞だ。そして今でもその時の気持ちやモチベーションは変わらない。音楽は人が作ろうが自分で作ろうが起爆剤のように作用することがある。「てっぺん」はそういう面を持っている。ライヴの中盤から後半で歌うことが多いが、それがソロでもデュオでもハシケントリオでも、これから盛り上がっていくための「上がる」曲として組み込みたくなる。でも今度1曲目にやってみようかな(笑)それも全然あり!

一緒にやる人で印象や打ち出したいものが変わる曲だなぁとも演奏してて思う。昨年13会場一緒にツアーしたピアノマン・リクオさんとの「てっぺん」は、リクオさんのピアノが入ることで今まで見たことのない、でもどこかでずっと求めていた「てっぺん」の本来の姿を見た気がした。回を重ねるごとにその「てっぺん」具合が増していき天井知らずの「てっぺん」が生まれた。そのことがハシケントリオでの「てっぺん」にもしっかりフィードバックしてトリオの「てっぺん」も底上げした気がする。曲は生まれ、育つ。またさらなる「てっぺん」へ。

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てっぺん
作詞・曲 ハシケン

あ〜やりたいことがいっぱい
だからいつでもいっぱいいっぱい
眠る時間を削っても
今日を生きぬき楽しむんだ
じっとなんかしていられない
じっとなんかしていられない

てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんまで

卑屈な自分が顔を出してくるのを押しのけて
何も降臨しなくたって何にもすがることもなく
もう一度起き上がる じっと寝てなんかいられない

てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんまで

手本になる生き方なんて見つけても見つかるはずはなく
自分の生き方はひとつ 広い世界にたったひとつ
じっとなんかしていられない
じっとなんかしていられない

てっぺんまで てっぺんまで てっぺんまで てっぺんまで

てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺん

てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう

てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺん

あ〜やりたいことがいっぱい
だからいつでもいっぱいいっぱい
眠る時間を削っても
今日を生きぬき楽しむんだ
じっとなんかしていられない
じっとなんかしていられない

てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう
てっぺんまでのぼりつめよう

てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんの
てっぺんのてっぺんのてっぺんのてっぺんまで


ミチル』ハシケンmeets伊藤大地
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『ハシケン・フルバンドスタイル!!! 20101124』DVD
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rikuo hasiken.jpg
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2019年04月23日

走る人。

2000年6月リリースのアルバム『限りなくあの空に近い』に収録した「走る人」。この曲ときってもきれないお店がある。うちの姉が店長をしていた赤坂にあったメキシコ民芸品を売るお店「カフェ・イ・アルテ」(コーヒーと芸術<美術>という意味。)。20代の頃このお店でイベントがあると臨時バイトとして車の運転や棚卸しを手伝っていたりした(カフェ・イ・アルテはこちらにも登場)。

常に「カフェ・イ・アルテ」店内ではメキシコ音楽が流れていた。その中で特に私が惹かれたのは「マリアッチ」。マリアッチは音楽のジャンル名ではなく数名から数十名で、トランペット、ギター、バイオリン、低音部パートのギター・ギタロンなどで構成される「楽団」のことを意味するらしい。カフェ・イ・アルテでも販売していた憶えがある「チャロ」と呼ばれてるカッコイイ服装をマリアッチの皆さんは身につけている。マリアッチの奏でる音楽は、かなり哀愁。ラテンの哀愁は本当に大好きだ。私にとって中南米の音楽、特にメキシコ音楽は「男のしょうもなさ・情けなさ」と哀愁のないまぜ、世界一(歌詞の内容はよくわからないけど音楽そのものから「男のしょうもなさ・情けなさ」を感じてしまう)。

1987年にアメリカで制作された映画「ラ☆バンバ」を私は確かカフェ・イ・アルテに出入りするようになった後にビデオで観ている。1959年、17歳でこの世を去ったメキシコ系アメリカ人ロック歌手リッチー・ヴァレンスの伝記的映画。この映画の主題歌となった「ラ・バンバ」を始めサウンドトラックのほとんどを演奏したのがメキシコ系アメリカ人バンド「ロス・ロボス」。映画が公開された翌年1988年にリリースされたこのバンドの原点回帰とも言える「La Pistola Y El Corazón 」(ピストルと心)というアルバムがありそのアナログをほんと擦り切れるくらいまで聴き倒した。このアルバムの中で特に好きなのが「QUE NADIE SEPA MI SUFRIR」。この曲はメキシコの公用語であるスペイン語で歌われているが私は好きすぎてスペイン語のまま憶えていて何も見ずに歌うことができる。ちなみにあまみエフエムの私の番組「大使は気まぐれ、テゲテゲRADIO」のオープニングで使っている曲は「La Pistola Y El Corazón 」の2曲目に収録されている「Las Amarillas」。カフェ・イ・アルテで聴いたマリアッチとロス・ロボスのアルバムが基本となり、私なりの<猪突猛進>のラブソングの歌詞を載せたのが「走る人」。「走る」イメージは映画「フォレスト・ガンプ」も影響してる気も今書いててしてきた。

「走る人」はデビューした時のバンド「Hasiken」ですでにライヴで演奏している。アルバム『限りなく・・』でレコーディングされたバージョンのアレンジは、バンド「Hasiken」でのアレンジ、マリアッチ、ロス・ロボスそして80年代から日本でも紹介されてブームとなった「ブルガリアン・ヴォイス」を芸術に高めた「フィリップ・クーテフ国立民族音楽・舞踏アンサンブル」の目まぐるしく変化していく器楽アレンジもミックスされていると思う。「フィリップ・クーテフ・・・」のアナログも擦り切れるまで聴いたなぁ。

実際のレコーディングで特に印象的だったのはハシケンフルバンドスタイルでもドラムを叩いてもらった宮田繁男さん。『限りなくあの空に近い』の中で宮田さんには4曲ドラムを叩いてもらっている。レコーディング前に行われた吉祥寺のリハスタで私は初めて宮田さんと会い、早速レコーディングに参加してもらう予定の4曲のリハが始まった。「走る人」は構成がかなり複雑でテーマのコーラス「ラーララーララララララーララーラ」のところは3・3・2・3・3という感じで拍子が変化していく。基本3拍子だが途中4拍子もまぎれる。宮田さんは複雑な構成の楽譜を一度さらっと見ただけで演奏を始め、2回目には実際に収録された形で完璧に演奏した。自分で作っておいて勝手だが正直この曲のドラムを叩くには、かなり時間が必要だと思っていた。でも宮田さんは私の予想をはるかに超える形でスムーズにそしてリズムが全く滞ることなく叩いた(今までの経験で、変拍子がからんでくるリズムは下手をするとリズムが「回らなく」なり「途切れ途切れ」のようになってしまう場合があった)。それは宮田さんが高い技術を持っていた上で「歌」をとっても大切にするドラマーだったからだと思う。

歌詞の後半「38度線」という言葉が出てくる。この言葉のことでレコーディングが始まってからCDの発売元リスペクレコード高橋社長が「もしかしたらこの38度線ってところ、問題にならないかなぁ?」と心配を始めた。この言葉が意味するのは朝鮮半島にある軍事境界線のことだが「境界線を突破するほど相手のことが大好きな人の勢いを象徴的に描いてる場面であって政治的な意味はないです」と私は社長に伝えた。その話はそれ以来出ず元の歌詞のまま収録されリリースされた。

「走る人」は最近だとソロやバイオリンのベチコちゃんとのデュオで演奏する機会が多いけど、『限りなく・・』に収録したバージョンを基本にオーケストラのような大所帯でいつか演奏してみたい。

アーティスト名や音楽の専門的なことをたくさん文中に散りばめましたが、気になったことはぜひ調べてくださいね〜。

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走る人
作詞・曲 ハシケン

理由(わけ)なんてなくて 意味なんてなくて風より早く
駆けていたくて もう止まらなくていい

転びそうになる 君が好きだから海より深く
追い越す景色が背中の彼方に消える

ぐんぐん走る 糸が切れた凧
ぐんぐん走る キレたまま 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん

帰らなくていい戻らなくていい 見つめていたい
その先の先 ゆるみぱなしの口元

ぐんぐん走る 糸が切れた凧
ぐんぐん走る キレたまま 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん

ぐんぐん走る 糸が切れた凧
ぐんぐん走る キレたまま 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん

理由(わけ)なんてなくて 意味なんてなくて風より早く
駆けていたくて もう止まらなくていい

ぐんぐん走る 糸が切れた凧
ぐんぐん走る キレたまま 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん
ぐんぐん走る 38度線さえ
ぐんぐん走る 軽く超え 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん
ぐんぐん走る 糸が切れた凧
ぐんぐん走る キレたまま 
ぐーんぐんぐんぐんぐんぐんぐんぐん
ぐんぐんぐんぐんぐんぐん


iTunes

「走る人」収録『限りなくあの空に近い』(2000年リリース)
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posted by ハシケン at 13:20| Comment(0) | 曲について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月20日

限りなくあの空に近い。

2000年6月リリースのアルバム『限りなくあの空に近い』のタイトル曲「限りなくあの空に近い」。この曲はあるテレビ番組への出演がきっかけで生まれた。

1996年5月に合計5回毎週放送されたNHK『熱中ホビー百科』にバンド「Hasiken」として出演した。サブタイトルに「地上最強バンド講座」とあり2つの現役高校生バンドと音楽を作ったりライヴをやってみたり。番組の司会は吉本のお笑いコンビ「ペナルティ」。ペナルティのワッキーはギターを弾き語りできたので一緒にギターを弾いて遊んだりもした。ワッキーなかなか上手で楽しかったなぁ。

その番組への出演を希望する高校生バンドからの応募が確か10組ほどあって番組の収録が始まる前にその中から2組にしぼる必要があったためオーディションのようなものがあり私もそこに立ち会った。各バンドが出演希望のために書いた用紙に色々好きなバンドやテレビ番組、夢なども書いてあった。私はその当時28歳になったばかりで彼らと10歳から12歳離れていることもありそこに書かれてたことや集まった高校生がとてもまぶしくて新鮮だった憶えがある。選ばれたのは女の子だけで構成された「Sweets」とボーカルやすきくんを中心とした「YASKI」。

1週目はリズムについての講座だった。「あんたがたどこさ」をボールをつきながら歌い、ボールが地面についてる時とボールが手に触れてる時でリズムの表裏を感じるという趣旨。3週目に作曲に挑戦する回があって、2組に同じ歌詞を使ってそれぞれ別の曲を作ることにトライしてもらうことになり、私がそのための元の歌詞を書くことになった。その時書いた歌詞が「限りなくあの空に近い」。歌詞を2組に渡し、私は私でこの歌詞に曲をつけていった。番組内で2組にできたてのそれぞれの「限りなくあの空に近い」を演奏もしてもらった。その後私が曲をつけて後にリリースすることになる形の「限りなくあの空に近い」も演奏した。なので「限りなくあの空に近い」という曲は同じ歌詞で3つの曲が存在している。

番組が終わってから「Sweets」のメンバーとは会うことはだんだんなくなったが、やすきくん達はつきあいが続いて私のライヴのオープニングアクトをやってもらったりライヴの手伝いをしてもらったりたくさんお世話になった。一時期全く連絡を取れていない時期もあったけど東日本大震災の後、やすきくんと奥さんの万里子ちゃん、そして「YASKI」のメンバーで番組にも出演してるちえちゃんが熊本の山都(やまと)に移住し有機農業を1から始め音楽も続けているのを知り連絡を取り合った。2015年11月バイオリン江藤さんと私のデビュー20周年ツアーの一環でやすきくんたちの知り合いのお店「Organic cafe そらのもり」を訪れ「YASKI BAND」と久々に共演をさせてもらった。最近会えてないから次回熊本に行くときはまた会いたいなぁ。

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限りなくあの空に近い
作詞・曲 ハシケン

ここから見渡せるパノラマより
もっと遠くにあるものに一緒に触れてみたい

目と目が合うたびに 今までより
もっと上手にこの気持ち 伝えたいと思う

あらゆる地上の夢がどんどん小さくなってゆく
あらゆる地上の夢がどんどん小さくなってゆく

限りなくあの空に近い一番高いとこから
突然風になっても手を握りしめてるから
こわくない

ここから見渡せるパノラマより
もっと遠くにあるものに一緒に触れてみたい

あらゆる地上の夢がどんどん小さくなってゆく
あらゆる地上の夢がどんどん小さくなってゆく

限りなくあの空に近い一番高いとこから
突然風になっても手を握りしめてるから
こわくない

iTunes

限りなくあの空に近い』(2000年6月リリース)
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うた』(2016年10月リリース)沖縄で新録音された「限りなくあの空に近い」収録。
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2019年04月11日

グランドライフ-7L3EPT-。

記念すべきデビュー曲となった「グランドライフ」。この曲の元々のタイトルは「7L3EPT」(セブン・エル・スリー・イー・ピー・ティー)。父親のアマチュア無線の「コールナンバー」が由来だ。

「グランドライフ」のサビのメロディが出来上がった場所は実家。1994年のある日、その日実家に帰っていて夜作業が終わって誰もいない業務用蒸し器やあんこを炊く大釜がある部屋でギターを弾き続けていたらサビのメロディが出てきた。この時すぐに思ったことは「ポップすぎるなぁ」だった。今から考えるとポップすぎるとは思わないけど当時はそう強く思い自分には合わないのでは、と考えた。ただそのあと何回もそのメロディを繰り返して歌っているうちに自分にフィットしていく感覚があって少しずつ歌詞の断片も生まれていった。「三途の川を渡るときに走馬灯のように浮かび上がる思い出やイメージを大好きな人と一緒に見て、最後見送られていく」という曲を書き上げた時にタイトルをどうしようかと悩んだ。1つの言葉に集約するのが難しく、自分で作った曲をどう呼んだらいいかわからないまま時間が過ぎた。ある時父親が知り合いの人たちとやっていたアマチュア無線で使ってるコールナンバーの響きがとても気になった。父親のアマチュア無線のIDナンバーのようなものがたまたま「7L3EPT」だった。これを声に出してみるとなんとも言えない良い響きだった。どこにも属さない感じもして気にいって曲のタイトルにした。

95年4月から出演したTVバンドオーディション番組「えびす温泉」は1週目挑戦者として「乳飲みほせ」を演奏した(この番組についてはまた別の機会に)。「乳飲みほせ」と相手のチャンピオンバンドの曲で審査員が「3対3」に割れ同点となった。そこで急きょ番組の司会者だった鈴木慶一さんが1票持つことになり「来週もハシケンを観たい」と言っていただきチャンピオンになれた。そして2週目「7L3EPT」を演奏した。その時の審査員の皆さんの反応がすごく良かった。音楽のキャリアを積んできた人や音楽の仕事に深く携わっている人に初めて自作の曲を評価されたことで今までにはない身震いをしたことを今でもはっきり思い出せる。

歌詞の最初に出てくる「空の穴」は、偶然日本通運の美術品を梱包して輸送するバイトで出かけた上野の東京都美術館の外に展示してあった現代彫刻「マイ・スカイ・ホール」(井上武吉さん・作)を見た時に強い衝撃を受け、そのまま感じたことを歌詞にしている。「マイ・スカイ・ホール」は各地にあり広島でよくライヴをやらせてもらっているオーティス!から歩いていける場所にもある。(広島のマイ・スカイ・ホールについて書かれたもの

2ブロック目のAメロに出てくる「モラ」は、中米に位置するグアテマラの織物。人や動物、鳥などがモチーフになっていて鮮やかないくつもの色の布を重ねて柄に合わせて布をくりぬいてその周囲を細かくまつってあるもの。姉が店長を務めていたメキシコ民芸品屋さん「カフェ・イ・アルテ」で時々バイトをやらせてもらう機会があり「モラ」を初めて見た。「カフェ・イ・アルテ」については「走る人」という曲に関しても深く関わっているのでまた別の機会に。

「グランドライフ」は、CDに収録されたものが3バージョンある。95年12月リリースのシングル、96年1月リリースのデビューアルバム『Hasiken』は同じバージョン、98年10月リリース『感謝』のバージョン。沖縄で一発録音された私の弾き語りに尾崎孝さんにラップスティールが重ねていただいた。そして2016年リリースのベスト盤『うた』のバージョン。このバージョンは全くのソロ。バンドの「Hasiken」として収録したバージョンはその中でも一番時間が短い。短いと言っても6分以上ある。『感謝』や『うた』のバージョンは9分以上。作った時からすでに9分以上の長さがあったが、最初のバージョンが短くなった理由はレコード会社ビクターの意向だ。デビューシングルが9分以上はさすがに長すぎるからできるだけ短くしてほしいとのことだった。あと「7L3EPT」では意味がわからないので普通の人でもわかりやすいタイトルを考えてほしいと言われた。おそらく今なら「7L3EPT」の方が変で面白いからこれで行こうという話になると思う(笑)。曲の骨格をできるだけ失わないように短くして(結果さっきの「モラ」が出てくる場所はカットになり間奏や繰り返される部分が少しずつカットされてる)。タイトルは考えてほしいと言われてから数日後ふと浮かんだ「グランドライフ」がそのまま正式なタイトルになり「7L3EPT」は副題として残った。

逆に最初のバージョンにはあるのに『感謝』や『うた』のバージョンにはない部分がある。「気づいた時には山の上に・・」から始まるブロックの中で歌われるコーラス部分だ。バンド「 Hasiken」のメンバーだった姉と上村美保子さん(現・ももなし)が担当している。映画のような手法(同じ情景を映しているのにカメラの視点を変えることで違う意味を観てる人に提示するような方法)を音楽でやってみたくて私が歌うメインとは違う歌詞を2人に歌ってもらっている。下に改めて書いた歌詞の中ではカッコの中に書かれてる。

歌詞のラストに出てくる「見送る人たちが小さくなっていく 手を振る 手を振る」は、初めて沖縄に一人旅に出かけた時東京の有明埠頭からフェリーに乗った時出航して岸を離れ夕暮れに染まっていく有明埠頭から手を振る人たちが小さくなっていった情景がモチーフだ。その旅をする以前と後では人生を大きく変えたターニングポイントになりこの歌を作り歌うことで新しい人生を歩き始めた。

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グランドライフ -7L3EPT-
作詞・曲 ハシケン

空の穴が産みおとしたひねくれた像を映す
鏡張りの球はとてつもなくでかい
見えるはずもない裏側の世界や
移ろう雲の流れ 君の心さえも取りこんでしまう

月にそそぐ赤い河は
錆びた鉄の匂う白い木綿
女達は染めて縫いあわせた
モラが今飛び立つ
逆上がりのできない子供達を見下ろして

よりそって燃える火を見ながら
朝が来るのを待ってる
長くキスした
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと
美しくあふれる海を見ては
朝が来るのを待ってる
泣いたのは誰
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

気づいた時には 山の上に
(気づいた時 高く澄んだ青い空 山の上に高く澄んだ青い空)

高く澄んだ青い空 主の帰らない廃墟をめざし
(崩れ落ちそう 今頃来ても 遅すぎるさ)

赤い服着た列が並び
(上下赤で男女入り乱れの列がずっと先まで続いてる)

主義主張をなくして 高らかに歌う サンタルチア
(声張り上げて一人だけひどく音はずれてる)

よりそって燃える火を見ながら
朝が来るのを待ってる
長くキスした
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

美しくあふれる海を見ては
朝が来るのを待ってる
泣いたのは誰
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

遠い星が爆発した日
焼けた灰は海へ骨は山へ帰る頃

よりそって燃える火を見ながら
朝が来るのを待ってる
長くキスした
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

いとおしくあふれる海を見ては                            
朝が来るのを待ってる
泣いたのは誰
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

よりそって美しい星に
朝が来るのを待ってる
死んだら人はどこいくの
風に乗りどこまで飛ぼうか
ずっとずっとずっと

見送る人たちが小さくなっていく 手を振る 手を振る
見送る人たちが小さくなっていく 手を振る 手を振る

glandlife.png

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2019年04月06日

STILL THE WATER(映画『2つ目の窓』のテーマ)。

2013年10月、奄美大島でほぼ全編撮影された映画『2つ目の窓』(河瀬直美監督作品)。この映画の音楽を担当することになり度々撮影の現場を見させてもらった。この映画がデビュー作となった村上虹郎くんと吉永淳ちゃんの主演2人は本当の恋人のように撮影中も仲良しでとても初々しかった。

撮影中にすでにテーマ曲になりえる曲は出来上がっていた。奄美北部にある緑が丘小学校のピアノがある部屋を貸していただき河瀬監督を始めキャストやスタッフの皆さんの前で演奏したこともあった。ただその時点ではまだはっきりと「これだ!」と言いきれるものではなかった。

河瀬監督のテーマ音楽に対するイメージは当初明確ではなかった。ただ河瀬監督の言葉の端々に「映画を見終わった後にもはっきりと印象に残るもの、あとでそのメロディを聴いた時に映画の様々なシーンが思い出されるようなもの」そういう音楽を望んでいることはしっかりと受け取れた。

撮影が全て終わり年が明け2014年に入ってもまだテーマ音楽となるメロディは完成しなかった。2014年3月20日頃までに音楽が完成しないと映画の完成に間に合わないいうことだけがはっきりしていた。何回音楽を監督に提出してもOKは出ず・・。2月になり奄美から奈良へ。編集のためにフランスからやってきたティナさんの作業室の隣で私はエレピを弾きながら曲を作り続けた。大阪の吹田に以前から使っていたレコーディングスタジオがありグランドピアノがあることもありそこに奈良から通って録音をしたり河瀬監督の家にあるアップライトピアノを使って曲作りしたり、その時宿泊していたウィークリーマンションでエレピで作曲したり。今思い出してもかなり精神的にもかなりハードな毎日だった。そして自分の頭で描きたい音楽が鳴っていてもそれをしっかりと表現するまでには自分は至っていないんだということも思い知らされた。

そして3月中旬になり期日が迫っていった。すでに映像の編集のためにパリ入りしていた監督とプロデューサーの澤田さんとスカイプで会話している中で「このままだと間に合わないのでパリに来てください!」ということになった。しかも私がパリに到着する翌日にパリのレコーディングスタジオとフランス人のピアニスト、バイオリニスト、チェリストの3人のスケジュールを押さえてあるという・・。

私はフランスに飛ぶための準備をすぐにして3月17日に関西空港からパリ・シャルル・ド・ゴール空港に飛んだ。テーマ曲になりえるメロディは頭の中で鳴っていたので機上でピアノ、バイオリン、チェロ用の楽譜を仕上げていった。今簡単に「楽譜を仕上げていった」と書いたが私は小さいころピアノを習った経験があるものの楽譜を読んですぐに楽器を弾ける人間でもなければ浮かんでるメロディをすぐに楽譜化できるスキルも持ち合わせていない。この時のような場合、本当に「火事場の馬鹿力」が出るんだなぁと改めて思った。

無事パリ・シャルル・ド・ゴール空港に到着。私のことを空港で待っていてくれた手配していただいたタクシーに乗ってパリ市内へ。編集が行われてるスタジオへ直行し監督以下パリ側スタッフと会った。その日はご飯だけみんなと一緒に行き休ませてもらって翌日早めにレコーディングスタジオに入りミュージシャンが来る前に機上で書いた楽譜が本当に正しいのかどうか確認する作業をしていった。

夕方からミュージシャン3人と初対面。3人とも私が作曲者だと紹介されると、とても敬意をはらってくれて曲の意図をきいてくれて再現してくれそうと最大限努力してくれた。ピアノのダヴィド、バイオリンもダヴィド、チェロのマエヴァ、この3人が初めて目の前で奏でてくれたテーマ曲は、オーケストラもフルでゆうに入れる大きさのレコーディングスタジオに響き渡りとても心地よかった。そしてヨーロッパの人間が奏でた私のメロディによって私はアジアの人間なんだなぁていうことを再認識させてくれた。オリエンタルなメロディではないのにオリエンタルな香りを強くその時感じた。その日、テーマ音楽とテーマ音楽のメロディを散りばめた各シーンの音楽もその3人のフランスミュージシャンによって奏でられ完成。私の仕事が1つ終わった。


テーマ曲録音後の記念撮影。
左から私、ダヴィド(バイオリン)、マエヴァ(チェロ)、ダヴィド(ピアノ)、河瀬直美監督
2014paris rec.jpg



2014年フランスでのプレミア上映のリハーサル時のテーマ曲演奏。



テーマ曲を含むサントラCDの詳細↓
http://www.hasiken.com/disc/stillthewater_cd

posted by ハシケン at 16:42| Comment(0) | 曲について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

ねころんで空、見てる。

1995年リリースの1stアルバム『Hasiken』の2曲目に収録した「ねころんで空、見てる」。この曲はデビュー前、元々オギ(荻原崇弘)とやっていたユニット「うの花」ですでに演奏していた。作曲はオギ(オギのことはこちらもどうぞ)。

「うの花」を始めてからオギがまだ歌詞のついてない曲を聴かせてくれた。それまで一度も聴いたこともない響きがする曲。中学、高校、そして東京に出てからもビートルズを中心に聴いてきた私は、世界のいろんな音楽を「ビートルズ」というフィルターを通して聴く癖がついていたように思う。特にアメリカのブルース、ジャマイカのスカ、インド音楽などは、すでにビートルズが60年代にそれらの音楽スタイルを取り入れた上で咀嚼してビートルズとしてのオリジナリティを加えていた。だから本当の「ブルース」「スカ」「インド音楽」を聴く前になんとなくの雰囲気を知っているつもりになっていた。そしてブルース、スカ、インド音楽以外の音楽の中でもビートルズ自体が影響を受けてきたアメリカの音楽「ロックンロール」やボブ・ディランなどビートルズと同世代の音楽もビートルズというフィルターを通して、ちゃんと聴いたことがないのに知ったつもりになっていた。

初めて「ねころんで空、見てる」の歌詞なしの原曲をオギが聴かせてくれた時、当時私が聴きだしていたジョニ・ミッチェルに通じるものがあるなぁと思いつつ聴いたことのない響きと構成を持った曲だと感じた。どういう経緯で私が歌詞を書くことになったかははっきり憶えていないけど、その曲のメロディや構成が私にとってすごく斬新でトライしてみたくなったのだと思う。

Bメロに出てくる「ランラリラリラリランラリ・・」というところはそのスキャットが面白いのでそのまま残した上で歌詞を載せていった。私は自分作曲の曲ほとんどがメロディ先行。同じ作り方をほとんどの曲でやるけど、何しろひたすらそのメロディを車に乗っていようが散歩してようがシャワーを浴びていようが口ずさむ。「ねころんで空、見てる。」の時もそうだった。ずっとずっと口ずさむことでメロディが自分のものになりある時ふと歌詞の断片がメロディと言葉のイントネーションが見事に合致して自分が納得するメロディとして奏でられる瞬間が訪れる。そこから全体の歌詞に波及していく。

この曲のラストに出てくるタイトルにもなった「ねころんで空、見てる」という言葉がはまった時はとってもうれしかった。

「うの花」でライヴで演奏する時は私とオギは2人ともアコギだった。ツインボーカル・ツインギター。ギターに関して言えば、オギは元々弾いていたコード感やフレーズで私はそこにハモったり別の流れを作るフレーズで合わせていた。

1stアルバム『Hasiken』に収録する際「うの花」で演奏していた時と構成を変えた。変わってるというか、加わっている。歌が始まる前のイントロの部分を長めにしてフェイドインする形をとった。実はこのイントロ部分のスネアドラムをブラシで叩いているのは私。その時のドラマーの平嶋さんに「スネアをブラシで叩く感じでやってもらえないか」と頼んでみたらイメージがはっきりあるなら自分でやってみたら良いよー!と言ってもらえたので自分で叩かせてもらった。

途中のストリングスアレンジはベースの今福さんが担当していてバイオリン2つ、ビオラ、チェロ分の4人分の楽譜も書いてくれた。この曲のためだけに弦楽四重奏の皆さんがスタジオにきてくれた時はかなりテンションが上がった。曲を聴くとレコーディングした時のことが鮮やかによみがえる。

最近歌っていないから5月からのライヴで歌っていきたいなぁ。

1stアルバム『Hasiken』


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2019年03月13日

セッション。

1stアルバム『Hasiken』の1曲目に収録した「セッション」は元々は歌詞がなくインスト曲としてユニット「うの花」(うの花を一緒にやっていた荻原崇弘<オギ>に関してはこちらもぜひ)でやっていた。うの花として音楽を担当させてもらった映画「裸足のピクニック」(矢口史靖監督作品)のサントラに収録した「セッション」が原型。うの花のオギが作曲した6拍子のブルース進行の曲で1960年代リー・モーガンやその時代のアメリカのジャズシーンで流行った「ジャズ・ロック」や「ファンキージャズ」とも言われた音楽に近い匂いがした。

うの花が活動休止になり93年沖縄民謡を習った後、原曲になかったBメロを私が作って全体の歌詞も考えた。「小舟の舳先は陸(おか)に向かってる」という出だしの歌詞が出た時はめっちゃ興奮した。正に伝えたかった気持ちがそこに写し取られていたからだ。Bメロに出てくる歌詞は私の故郷・埼玉県秩父の方言が使われている。「なから」は「かなり」の意味。「よいじゃーねー」は「容易ではない(簡単なことでない)」。「わきゃーねー」は「わけがない(簡単、すぐ、時間が短い)」。作った当初、標準語を使うより自分にとって、とても身近な言葉で歌うことで独特のドライヴ感が増したような気がした。

大ちゃん(伊藤大地)は高校の自由の森学園在学中に友達の松元大地くんのバンドでこの「セッション」をカバーしている。その縁もあってハシケンmeets伊藤大地の1stCD『ミチル』でライヴと同じ感じで2人で一発録音した。


セッション
作詞:ハシケン 作曲:荻原崇弘・ハシケン

小船の舳先は陸に向ってる
魂くすぐるのは誰だ
体が喜ぶ ホッホッホッホー

僕のこと取り巻くすべてが味方
魂くすぐるのは誰だ
体が喜ぶ ホッホッホッホー

体のタイコが騒々しいや 体のタイコが騒々しいや
体のタイコが騒々しいや 体のタイコが騒々しいや
体のタイコが騒々しいや

体のタイコが騒々しいや 体のタイコが騒々しいや
体のタイコが騒々しいや 体のタイコが騒々しいや
体のタイコが騒々しいや

なから来たさ よいじゃーねー道程を
月日が経つのも わきゃーねー話で
晴れ渡る まともに南風
あと少し あと少し あと少し

小船の舳先は陸に向ってる魂くすぐるのは誰だ
体が喜ぶ ホッホッホッホー

なから来たさ よいじゃーねー道程を月日が経つのも 
わきゃーねー話で
晴れ渡る まともに南風
あと少し あと少し あと少し

小船の舳先は陸に向ってる魂くすぐるのは誰だ
体が喜ぶ ホッホッホッホー
体が喜ぶ ホッホッホッホー
体が喜ぶ ホッホッホッホー

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michiru.jpg

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2019年03月04日

氷河期。

ハシケンハマケンの『TAKARA』に収録した私と浜野くんの唯一の共作「氷河期」。この曲は「氷河期」という言葉がなぜかその当時制作意欲を駆り立てるものとして私の前に登場して、氷河期という言葉に導かれるように歌詞を書いていった。当時、映画「エターナル・サンシャイン」をDVDで観たことも影響があるのかもしれない(エターナル・サンシャインの宣材写真は氷上に寝る男女)。

氷の世界に囲まれていて生死を彷徨ってるのにどこか呑気な男女の会話。演劇の脚本を書いたことはないがお芝居の脚本を書いていくような気持ちで歌詞を書き上げていった。男女の会話がいくつか続くがここはできたら二階堂和美さんとデュエットしたいなぁと思いながら書いていった。歌詞が形になり浜野くんに渡したら一週間くらいで曲ができてきた。私には考えつかないコード進行と私がまず使わない高度なテンションが入ったコードが散りばめられ、正直「わざわざ難解な曲作ってきたなぁ」(笑)と思ったけど歌ってみると正にそこには私が描きたかった「氷河期」があった。

後半に出てくる「豚骨ラーメン食べたい」という部分は、ある意味普遍性をなくす可能性があるのかなぁと思い歌詞を変えようかと思ったけど結局描きたい世界感には「豚骨ラーメン食べたい」がぴったりだったのでそのままにした。『TAKARA』をリリースしてハシケンハマケンのライヴを観た盟友・河村さんには「あの<豚骨ラーメン食べたい>って歌詞がなければ良い曲なんやけどなぁ」と言われた(笑)。その気持ち、わかる!けどあえて「豚骨ラーメン食べたい」。2番あたりからこの男女は意識が朦朧としてきていて寒さで凍えた体からふりしぼってなんとか出てきた言葉は「豚骨ラーメン」であって欲しかった脚本家としては・・。登場人物の出身は博多だったのかもしれない・・。

実際のレコーディングで男女の会話の部分は二階堂さんとデュエットしたいんだけどって浜野くんに伝えると「デモでハシケンさんが一人二役やってるバージョンがなんか気持ち悪くって好きです」という一言に私も「そうか」とうなずき一人二役で歌うことに決めた。

『TAKARA』って改めて聴くとオモチャ箱みたいな面白いアルバムだなぁと思う。あえての解像度低めのPVやその中に出てくるアニメは私が制作した。PV内の大ちゃん(伊藤大地)のレコメンドコメントも今となっては貴重だなぁ。浜野くんは俳優業いそがしすぎて実現はなかなか難しいと思うけど、またハシケンハマケンでライヴをやれるなら「氷河期」は極上のバラードとして歌い上げたい。

*********************

氷河期
作詞:ハシケン  作曲:浜野謙太

男「寒いなぁ」
女「寒いわね」
男「腹減ったなぁ」
女「すいたわね」
男「もう動けない」
女「私ももう限界」
男「でも眠るなよ」
女「あなたもね」
男「死んじゃうぞ」

フフフフフフ氷河期

君と氷河期
僕らの他に誰もいない
二人だけの世界
美しく悲しい世界

女「揺れてる気がする」
男「ほんとだ」
女「揺れが近づいてる」
男「ほんとだ」
女「大きい何かが近づいてくる」
男「マンモスかなぁ」
女「マンモスかしら」
男「捕まえようか」
女「どうやって?」

フフフフフフ氷河期

君と氷河期
僕らの他に誰もいない
二人だけの世界
美しく悲しい世界

互いの体で温め合えば
この分厚い氷も
きっと溶かすことができるよ
意識が遠ざかる
豚骨ラーメン食べたい
抱きしめて
口づけて
抱きしめて
口づけて
愛してる

君と氷河期
僕らの他に誰もいない
二人だけの世界
美しい氷の世界

君と氷河期
君と氷河期


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『TAKARA』PV

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2019年02月20日

ワンナイトサンバ。

2005年リリースの『青い月』に収録した「ワンナイトサンバ」のレコーディングはとても思い出深い。『青い月』は盟友・河村博司さんとの共同作品。『青い月』制作時、ほぼ毎日しかも長時間河村さんとお互いの家に寝に帰る以外一緒にいた。『青い月』そして『Hug』のレコーディングは河村さんが在籍していたソウルフラワーユニオンの事務所ブレスト音楽出版の1室を貸していただき行なっている。その部屋は普通のレコーディングスタジオのように防音されてはいないが、独特の良い響きがある広めの部屋で長い時間居ても窮屈になることもなく居心地がよかった。

ある日「ワンナイトサンバ」を録音してみたが良い感じのものが中々録れず。録音方法を色々試してるうちに夜中を超え朝を迎えようとしていた。試しにマイクをたった1本設置してその前に座り込む形でガットギターを弾きながら歌った感じが今まで録音されたものより良い雰囲気を醸し出していた。何テイクか続けたかも。でも記憶が朧げ・・。ずっと作業を続けていて頭もハイになったままだった。録音しながら気になっていたのは、防音されていない部屋なので外の音が入る可能性だった。その部屋があったビルに朝ゴミ収集車がやってくるので、せっかく良いテイクが録れ始めたとしても収集車のエンジン音やバックする時に鳴る「ピー・ピー」のような音が入ってしまうかもしれない。。。

運良く収集車がくる前にベストテイクが録音できた。1本のマイクで歌もギターもいっぺんに録ったこともあり部屋の空間もそのまま記録されたような音。「ワンナイトサンバ」を聴くとあの早朝とその後のまぶしかった朝の光を思い出す。

この曲にはトロンボーンが重ねられている。吹いているのは村田陽一さん。かつて「JAGATARA(じゃがたら)」というバンドのメンバーだった村田さんの音を初めて生で聴いたのは約30年前。ご自身のバンドや数々のライヴやレコーディング、至る所でキャリアを積んできた村田さん。最近だと椎名林檎さんのバンドで吹いてる姿を映像で拝見した。『青い月』収録曲で「ワンナイトサンバ」「美しい島(くに)」「扉」の3曲に村田さんがトロンボーンで参加しているが、とりわけ「ワンナイトサンバ」のダビングレコーディング時のことは忘れることができない。

あの早朝一発録音してから数日後「ワンナイトサンバ」を一度さらっと聴いただけで村田さんは1曲丸々凄い演奏をし録音した。河村さんと私はその音を聴いて同じように「凄い」と思ったけど、2人共「何かはわからないが<何か>が少し足りない・・」ということと今の演奏を上回るものがまだこの後出るんじゃないかと期待して「もう一度お願いできますか?」と村田さんに伝えた。その言葉を聞いた村田さんはあからさまに不機嫌な感じで「どうして?」と訊いてきた。空気が凍った。「えーーーと・・今のも本当に素晴らしいと思うんですがもう一度トライしていただけませんか?」と再度伝えると「この曲のように弱い音でずっと吹き続けると唇が一度でダメになってしまい復帰するのに時間がかかるんだよ。」と言われた。でも少し時間を置いてもう一度吹いてもらえることになった。そして2テイク目。完璧だった。1テイク目をはるかに超える演奏。ただうまいだけじゃない。一緒に演奏してるわけではないのに歌への寄り添い方の素晴らしさ、即興で繰り出すメロディの引き出しの多さとその1音1音に全て意味を見いだせるほどの職人技にクラクラした。もちろんその2テイク目を採用した。村田さんは1テイク目から本気で臨んでもらい、もしかしたら失礼なお願いで嫌な思いをさせてしまったと思うが、あの時にあきらめなくて良かったと聴くたびに心から思える。

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2019年02月12日

はいぬみかじ。

私はこの場所に親兄弟はいないよ 友達恋人が親兄弟なんだよ

ヤギフミトモくんの曲「はいぬみかじ」に出てくる歌詞。ヤギくんに初めて会ったのは残念ながら今はもうなくなってしまった那覇・桜坂劇場すぐそばにあったBarドラミンゴでの初ライブ(2013年6月)の時。ドラミンゴのオーナーこうちゃん(さとうこうすけ)がオープニングアクトとしてヤギくんを呼んでくれた。

ヤギくんが「はいぬみかじ」を歌いだした時の衝撃は忘れない。埼玉県秩父で生まれ育ち18から東京に出て43までずっと関東に住み音楽活動をし2011年6月に奄美に移住した私にとってこの歌の歌詞は私のことを知っていて私のことを歌ってるのかと思うほどだった。ヤギくんによくよく聞いてみると「はいぬみかじ」は大学時代を過ごした関西で書き上げた曲で沖縄や奄美のシマ唄にも同様の歌詞があるという。沖縄民謡を習い奄美に縁がありながら全く知らなかった。この歌を歌いたいと思いすぐにカバーを始め2015年にリリースした『レラマカニ』に収録した。

この歌を歌う時に抑えようと思ってもどうしてもあふれてくるものがある。歌詞とリンクする場面が多く複雑で一言では言い表せない感情を呼びおこす。家族や親戚が近くにいて住み慣れた環境から、そうではない場所でまわりの人たちから目に見える形目に見えない形問わずお世話になっていてそこで生かされているという感覚もあふれてくる。この歌に出会えて良かった。歌い続けていきたい。


はいぬみかじ
作詞・曲ヤギフミトモ
(原曲は沖縄の言葉で半分以上歌われてます)

私はこの場所に親兄弟はいないよ
友達恋人が親兄弟なんだよ

私はこの島に親兄弟はいないよ
あなたやこの島が親兄弟なんだよ
(※この部分はハシケンバージョンのみ)

思い出すのは南の風
生まれた場所の懐かしさ
思い出すのは南の風
旅立つ場所の懐かしさ

私はこの場所に親兄弟はいないよ
友達恋人が親兄弟なんだよ

うみじゃすさ はいぬみかじ
生まれた場所の懐かしさ
うみじゃすさ はいぬみかじ
旅立つ場所の懐かしさ



ここでヤギくんの「はいぬみかじ」観ることができます。


ハシケン「はいぬみかじ」収録CD『RERAMAKANI』
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ヤギフミトモ「はいぬみかじ」収録CD『Beyond』
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2019年02月02日

約束の地と「永遠」という言葉。

本格的に曲作りを始めた頃から「永遠」という言葉を歌詞に使うことにこだわりがあった。何度かメロディに歌詞をあてはめる過程で登場してきては毎度毎度却下してきた。曲作りをする中でメロディと歌詞が合わさる時にメロディだけが強くなっていたり歌詞だけが強くなっていたりしていないかどうか・・、メロディも歌詞も強い者同士(本当にそのメロディや言葉がその場に適していて、自分が望んでいるものかどうか、という意味で「強い」)が強いままバランス良く、良い意味で拮抗できているかどうか・・、メロディに言葉を載せた時に、永遠という言葉に自分が描きたい世界を本当に託して良いのだろうか・・。こんな風な曲を作る上での自分の「査定基準」に永遠という2文字は何回も候補に上がってきたが採用されることはなかった。「約束の地」という曲が生まれるまで。

私はほとんどの曲をメロディ先行で作ってきている。メロディ先行でありながら全体を聴いた時にあたかも歌詞から先に書いたように作りたいと若い頃から思い続けてきた。鼻歌のように浮かんできたメロディの断片をギターやピアノを弾きながらコードやそのメロディに合う音の響きを探していき曲を膨らませていくことが多い。メロディの全体が少しずつ見えてきたころ今度はメロディに合う歌詞の断片が出てくる。何度も何度もどこでも歌っていく。完成するまではずっとそのメロディが頭をぐるぐるしている。ご飯食べてても移動中でもライヴ直前であっても・・。だから誰とも話したくないオーラ(笑)を出しながら明後日の方を見つめながら少し恐いような(決して怒ってる訳ではない・・)目つきや顔をしてる時はその作業を頭の中でしていることが多い。

「永遠」という言葉を歌詞に使うのであれば、本当にその途方もない感覚や想い、時間・空間をたった2文字に託して良いと思える歌詞や曲を書けるまでは使いたくないという気持ちやそれ相当の覚悟が必要だと思っていた。それは私が聴いてきた歌謡曲やJ-POPの中に登場した永遠という単語が、あまりにも安易に使われすぎていないか、と疑問を常に感じてたせいもある。全ての「永遠」使用曲を知ってる訳ではないけど。本当に自分が描きたい世界を掘り下げた上でこの言葉をちゃんと使っているのだろうか?という疑問。自分はこの永遠という言葉を使う場合は「その時」が来るまで絶対使いたくなかった。

2002年のある時、グランドピアノがある吉祥寺のスタジオでひたすら曲作りをしていた時、今まで作ったことがない展開の曲の断片が浮かんできた。メロディとピアノで奏でるコード感、そして歌詞の断片が何回も何回もメロディを歌っていく中で広がっていった。メロディや歌詞が絡み合ってするすると浮かんでいく時は全く時間の感覚がなくなっていく。めちゃくちゃ楽しいし苦しくもがくけど出来上がっていく時のうれしさったら他にはない。ライヴで演奏するのとは違う高揚感と充実感が曲作りにはある。だからやめられない。歌詞の中に約束の地という言葉がポンと浮かんできた時にこの曲の方向性はほぼ決まった。そして永遠という言葉が頭をよぎり始めた。サビに出て来る「強く握った手のぬくもりを確かめながら永遠をつかんでいた」。やぶれてしまった自分自身の恋愛があったからこそ書けた歌詞だけど、気が遠くなるほど何回も何回も歌っても、ここには永遠という言葉しかメロディと絡み合うことができない、とはっきりしてきた。「その時」が来たんだと感じた。自分の中で初めて永遠という言葉を歌詞に使っていい、使って歌いたいと思える曲ができた。

約束の地を収録したアルバム『赤い実』のプロデューサー・てっちゃん(ヤマサキテツヤ)とストリングスアレンジとバイオリンを何本も重ねてくれた、たまきあやちゃんの2人が中心になって構築した壮大なアレンジによって、私がこの曲で描きたかった物語を色彩豊かな絵本をめくるように誘(いざな)ってくれている。そしてそのアレンジがしっかり後押ししてくれて、永遠という言葉を歌詞に使った肯定感を更に高めてくれた。

「約束の地」を作っていた時、常に頭に浮かんでいた場所は当時まだその地を踏んでいなかったイギリスからフランス側を見ることができるようなだだっ広い草原のような場所だった。イギリスではないが初めて2005年フランスを訪れた時、ツアーに参加してモン・サン=ミッシェル大聖堂を1人で訪れた。もしかしたらそこが約束の地を作っていた時に浮かんでいた情景の中の1つなのかもと期待を膨らませて向かってみたが、着いてみたら私が想っていたその場所ではなかった。また色々旅をする中で、あの時浮かんでいた約束の地に会えるかもしれない。


約束の地 作詞・曲 ハシケン

まとまった雨が街に滞っていた埃をきれいに洗い流して
すぐそこまで来ている夏の産声を呼び覚ます雷

傘を持たず飛び出してきたことを
今更悔やんでもどうにもならないびしょ濡れ 泣きっ面

体の奥まで濡れてしまえばもうどうでも良くなり
水たまりでわざと飛び跳ねて
街をすり抜けたら海沿いの道歩いてゆく

急に休みがとれて出かけようと決めた場所は
君と果たせなかった約束の地

いつか君と見上げた空は不安のカケラもない澄みわたる青空
強く握った手のぬくもりを確かめながら永遠をつかんでいた

重くたちこめた鉛色の雲は夕方近くになればなるほど
大陸からふきつける風の力で東へ東へ渡ってく
さっきまでの大雨がうそのように止んで
顔をのぞかせた夕陽が照らす

遠く遠くあの空の下で夢見てた風景が目の前に展がる
黄金色に輝いていた秋の日を君も憶えているのだろうか

いつか君と見上げた空は不安のカケラもない澄みわたる青空
強く握った手のぬくもりを確かめながら永遠をつかんでいた

いつか君と訪れることを夢見てた風景が目の前に展がる
北の空に降りつづいている星屑を君もどこかで見てるのだろうか

Mont Saint-Michel card.JPG
モン・サン=ミッシェル大聖堂で買った絵葉書。





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2019年01月26日

「青い月」の生い立ち、そして2つの「あまみ」。

2005年に出したCD『青い月』のタイトル曲「青い月」。この曲を書き上げるのに1年以上かかっている。最初からテーマにしたいことは、はっきりしていた。「自分が受け継いできたものを次の世代に受け継いでゆく」。ライヴのMCでも話したことがあるが「美しい島(くに)」の中で歌った「夢や憧れを持って自分の生まれた土地を離れて旅だった人」がその20年後に「新しい別の土地で家族を作り育み、離れた故郷のことや自分の子供のことを想う」という設定で書いたのが「青い月」だ。「美しい島(くに)」と「青い月」は兄弟曲。歌詞のテーマははっきりしていたが、裏声を駆使する唱法を繰り返しながら演奏するピアノアレンジに時間がかなりかかった。自分の納得するところまでは中々いくことができなかった。

元はと言えば、2000年に奄美シマ唄の朝崎郁恵(あさざき・いくえ)さんとピアニスト高橋全(たかはし・あきら)さんとの共同作品「海美(あまみ)」(1997年リリース)を聴いたことに始まる。元が奄美のシマ唄と聞かされなければ、朝崎さんの声と高橋さんのピアノが誘(いざな)う世界は、どこの国か何がルーツか全くわからないほどだった。そのどこにも属さない圧倒的なオリジナリティと神聖さに非常に惹かれた。

初めて「海美」を聴かせてくれたのは、ライヴハウス「ASIVI」のオーナーであり「あまみエフエム」の理事長でもある麓憲吾(ふもと・けんご)。彼は私を奄美に2000年に初めて呼んでくれた人の1人であり今でもお世話になっているが、出会った頃私によくこんなようなことを言っていた。「自分やシマの人間たちのアイデンティティって何なのかってよく考えるんです。沖縄でもないし、鹿児島でもない・・。実際のところ、どの立ち位置にいてどこに属しているんだろうって」。その答えを私は「海美」に見た気がして彼に「どこにも属さないっていうのが奄美のアイデンティティなんじゃないのかなぁ」と奄美が背負ってきた歴史背景も当時よく知らずに身勝手ながら伝えた。

朝崎さんの声と高橋さんのピアノが、もしどこかの外国で作られた映画のエンディングで流れたら、この圧倒的なものが聴く人を捉えて、このどこにも属さないからこその強烈なオリジナリティを多くの人に伝えることができるはずだ、と感じた。だから沖縄や鹿児島でなくて、すでに奄美独自の「アイデンティティ」をこの島は持ってると思えた。初めて「海美」を聴いた2年後、元ちとせちゃんがメジャーデビューし「ワダツミの木」がミリオンセラーになった。ちとせちゃんが全国的に認知され、ちとせちゃん以前にデビューした奄美大島出身のアーティストのほとんどが「鹿児島出身」とプロフィールに書いていたが、ちとせちゃん以降は「奄美大島出身」とはっきり書くようになった。あとNHKの全国ニュースの天気予報に、ちとせちゃんが認知される前に「奄美」という表記はなかったらしい。今でこそLCCも飛び「奄美と沖縄の違い」や「奄美はかつて琉球王国の北端だったが、薩摩藩の琉球侵攻によって薩摩の『領地』になり、その後鹿児島県になった」ということをわかる人も増えたが、ちとせちゃんが売れる前は、今とかなり状況が違った。

大河ドラマ「西郷どん」で奄美編として当時の奄美が描かれていたが実際はもっともっと大変で過酷な状況だったと想像した(歴史に関してはいろんな立場からのいろんな説があるので興味がある人はぜひ自分で調べてくださいね〜)。

私は朝崎さんのような日々つちかってきたもの凄いシマ唄を歌うことはできないし、高橋さんのようにピアノテクニックやクラシックを始め多岐に渡る音楽的知識に裏打ちされたアレンジでピアノを弾くことはできない。でも「海美」で聴かせていただいたものに畏れながら匹敵できる楽曲を標準語で作り、私なりの朝崎さんと高橋さんへの答えを出したかった。そして「奄美」と「海美」へのお礼の「返歌」を書き上げたいという衝動がずっと私の心を突いて、なんとか創り上げようというモチベーションを保ち続け時間はかかったが完成できた。

来月10日の愛媛県新居浜市「あかがねホール」で私と奄美のシマ唄を今後引っ張っていく存在になっていくだろう中村瑞希ちゃんがボーカルを交互にとりあい、そこにベチコちゃんのバイオリンが絡むというスペシャルな形で演奏する予定。「青い月」を、「つむぐうた」コンサートを、ぜひ観ていただきたい。
『つむぐうた〜継いできた「うた」、継いでゆく「うた」〜』コンサート

「青い月」
作詞・曲:ハシケン

はるか産まれ土地を心に描くよ
長雨の後に雲は散り
太陽は降りそそぐ
すべてを赦(ゆる)すように等しく

赤土の浜で誰かが歌ううた
波の音にまぎれ ひたすらに
遠くの恋人を思う 
美しいメロディ

怖い夢はもうここにはいないよ
もう一度眠りにつけるまで
髪をなでていよう 
窓越しには青い月

はるか産まれ土地を心に描くよ
長雨の後に雲は散り
太陽は降りそそぐ
すべてを赦すように等しく

もの語りを
聴かせていこう

継いできたもの
継いでゆくもの


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「海美」by 朝崎郁恵&高橋全
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「青い月」by ハシケン
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2019年01月24日

「For You」という曲。

バイオリン太田惠資さんの紹介で初めてジャズピアニスト板橋文夫さんに会ったのは横浜ジャズプロムナードの楽屋だった。それは私がリスペクトレコードからアルバム『限りなくあの空に近い』をリリースした後なので2000年のことだったと思う。『限りなく・・』に太田さんが参加していることもあり板橋さんにそのCDをお渡しした。

板橋さんは私と会ってすぐに『限りなく・・』を聴きしかも気にいっていただいたようで連絡がきた。そして板橋さんのマンションに行きリハをやることになり初めは板橋さんのライヴにゲストボーカルのような形で参加させていただくようになった。『限りなく・・』に収録した「夕映え」「走る人」を始め、板橋さんの名曲「渡良瀬」も歌った。ライヴをご一緒させていただくようになってからすごく気になる板橋さんの曲に出会った。板橋さんソロや板橋文夫オーケストラで演奏する曲に「For You」というインストの曲がありそのメロディがとても美しく、そのメロディに引き寄せられるように歌詞をつけたくなった。今でも歌ってる「For You-ハシケンバージョン-」の歌詞を書き板橋さんにその歌詞の内容を伝え歌った時、板橋さんは両手を上げてOKという感じの反応ではなかった。でも私がボーカルで参加するライヴではその歌詞で「For You」を歌ってもいいことになり歌わせていただくようになった。

何回かライヴを重ねるうちに、ある時ぽろっと板橋さんがこう言った。「ハシケンが書いたFor Youの歌詞をハシケンが歌ってるのをピアノを弾きながら聴いていると、自分の母親や姉がずっと手を振って姿が見えなくなるまで見送ってくれたことを思い出すんだよなぁ」。「For You」の歌詞を書いていく過程の中で、板橋さんのピアノの演奏スタイルやライヴの時のMCや楽屋での発言を元に私が「For You」という曲のメロディから勝手に受け取った印象があった。それは板橋さんのお母さんやお姉さんが浮かぶことはなかったものの、板橋さんがツアーを回ってる際、国内海外を問わず飛行機に乗る時に「もしかしたら、ここに来たいと思っても何かの都合で次回来れないかも知れない。もし次回会うことができなかったとしても見送りに来てくれた人たちがずっと幸せでいられますように」と強く願っている姿だった。なので板橋さんが話したことにとても驚いた。そして自分が心に描いた風景が板橋さんの創り出したメロディに寄り添うことができていたと確信でき素直にうれしかった。その後「For You -ハシケンバージョン-」はアルバム『赤い実』(2003年)、『うた』(2016年)でCD化した。東日本大震災以来、板橋さんとご一緒できていないが、またどこかのタイミングで「For You」を始め同じステージで演奏したい。

「For You -ハシケンバージョン-」

またいつかあなたに会えることを
強く心から願う
遠く離れてもいつも想ってる
あなたの未来が輝くように

伝えたいことがたくさんあるのに
うまく言葉にできない
何度も何度も
手を振りつづけた
あなたにこの想い届くように
あなたにこの想い届くように

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2019年01月14日

風の吹く日には。

2007年に出したアルバム『Hug』は、収録曲11曲中9曲私が作詞作曲をしている。あとはリクオさんの『ソウル』、そして作詞が友部正人さん、作曲が私という共作「風の吹く日には」。この曲は元々、友部さんが作詞作曲した曲として存在している。2006年11月に吉祥寺スターパインズカフェで行われた友部さんのライヴ「言葉の森で」にゲストで参加させていただくことになり、事前に友部さんと会いリハをした。その時「友部正人詩集」をいただいた。その中に「風の吹く日には」という詩があり、独特の香りが立ち込める言葉に導かれるように夢中でギターを弾きながらたしか1日もかからないでメロディをつけた。友部さんと友部さんの奥さんユミさんに私が新たにメロディをつけた「風の吹く日には」を聴いていただき気に入っていただけた。そして『Hug』に収録した。いまだに友部さんが作詞作曲した「風の吹く日には」は聴いたことがない。ゲスト参加した「言葉の森で」には苦い思い出があるが、それはまた別の機会に。
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2019年01月07日

月の光の道は、今。

昨年11月から12月にかけてのソロツアーには久々に三線を持っていった。1996年1月24日にリリースしたデビュー盤『Hasiken』に初めて収録して20年の時を超えて2016年10月にリリースした沖縄で再録したベスト盤『うた』にも収録した曲「月光の道」を歌うため。1993年4月から6月の間、沖縄市に滞在して照屋政雄先生の家にほぼ毎日通った。沖縄での滞在のためのお金はバイトをしてためてから沖縄に向かったものの途中でお金が底をついてしまい、沖縄で時間がある時に駐車場内の誘導のバイトをすることにした。そこで知り合ったバイトの先輩のニーニーとニーニーの家族・親戚。色々なものをご馳走になり大変お世話になった。初めてティビチ(豚足)のおでんを食べたのもこの時。初めて食べた時、その見た目と食感にびっくりした。でもおいしかった。バイト終わりや照屋先生の家での稽古が終わった後ニーニーがドライヴに何度も連れて行ってくれた。ある晩、お弁当を買って浜辺に連れていってもらったら、あと1時間もしたら海の中に入っていきそうな満月が凪の海の上にあり輝いていた。満月から放たれた光の道が海を渡ってうちら2人を照らし包んでくれた。その光景があまりに美しく、いつか歌にしてみたいと思った。沖縄から東京に戻り「月光の道」として仕上げた。満月の日にあの浜辺にまたいってみたい。これからも歌っていく。
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